2014年12月30日火曜日

年末イベントその2 マラソン大会!

年末イベント2!ということで

サンルイから帰ってきた次の日にカフリンへ移動。

カフリンは任地ダーラよりも南に位置する、車で4時間くらいの所にある町。

そこで、「カフリン・ビルキランマラソン」が開催されました。

主催は1月に帰国されるカフリン隊員とその隣町のビルキラン隊員。

この2つの町がおよそ21キロ離れており、ビルキランからスタートして

カフリンまで走ろう!というもの。そして夜にはその先輩隊員の送別会。

私もアフリカの大地を走りたい!という気持ちと先輩隊員に挨拶をしたいという

気持ちがあったので参加。

途中の村までの11キロを目標に走りました。

練習を全くしていなかったので、きついきつい。(笑)

若干の起伏がまたきつく、こんなに足って上がらなくなるものかというくらい

石のようでした。

何とか11キロ完走。1時間25分かかりました。

21キロ完走した人たちは本当にすごい!!

何もない場所を走る、通りがかりのセネガル人は

頑張れ~とか、トラックのクラクションでププッとか鳴らしてくれる。

村についたときの子どもたちの声援は面白く可愛かった。

いや~いい思い出になりました。

走り終わった直後からみんな足がいたくて、歩き方がひょこひょこ。

私も普通に歩けません。(笑)

それから先輩隊員の送別会。サプライズで羊が登場!

さばいて、から揚げや生姜焼き、焼き肉にしておいしく食べました。

最後には先輩隊員へのサプライズムービーも。

2年間の軌跡は大きな財産。

すごく頑張っていた先輩隊員だけに、2年間の活動を終えた今の先輩の背中が大きく、

そして私たちより少し先をいっているような、寂しくも、嬉しくも、いろいろな気持ちが混ざっていました。

3か月に一度新旧隊員が入れ替わり、出会いと別れが3か月ごとにやってくる。

自分の帰国が近づけば近づくほど、セネガルで同じ時間をすごした仲間が

帰国していく。

終わりは始まり

別れは出会い

同じものを目指す「同志」として

残された時間、精いっぱい頑張ろうと感じた日でもありました。


出発前。走ったメンバー!


走る前にはちゃんとラジオ体操!



遠くにいる白い服の人が私(笑)



ゴールの瞬間!


最後には賞状までも!気の利いた企画に脱帽!


年末イベントその1 慰安旅行サンルイ

Bonsoir!

学校がクリスマス休みに入りました。

セネガルは95%がイスラム教ですが、5%はキリスト教なので

両宗教の休みをとります。

23日から3泊4日でサン・ルイというセネガルの観光地に

7人で慰安旅行。というのも1月に帰国予定の先輩隊員が「サンルイ稲作ツアー」を

企画してくれて、それに参加してきました。

セネガル北部、モーリタニアと国境を接する「セネガル川」。その流域に大規模な灌漑農業の

プロジェが5年間にわたり、入っていました。

その稲作の見学が主な目的。レンタカーにガイドまでついて、何も知識がない私も

とても勉強になりました。セネガルでは毎回昼食に米を食べますが、その7割が輸入米

という事実は初めて知りました。主にインドやタイからくず米が輸入されているよう。

他にも灌漑農業をするために、水を引っ張ってくる工事をしている場所も。

ガイドさんいわく、特にここ2年間の変化は大きいと。日本や中国、アメリカ、フランス、色々な

援助機関が入っているようです。

それからユネスコに指定されている自然公園「鳥公園」に行ってきました。

ほぼペリカンだったけれど(笑)、他の渡り鳥もいて渡り鳥がセネガルにくるんだなあ、と

また1つ世界が広がった感じでした。

ゆっくりした時間を、気の許せる仲間と過ごし、おいしい物をたくさん食べ

たくさん話した時間は、とても楽しく早く過ぎていきました。

企画してくださって先輩隊員、受け入れてくれたサンルイの隊員に感謝です。


全部米です。(そしてサンルイは海沿いなので寒い)


青の服の方がガイドさん(プロジェで働いていたセネ人)
右の方が農家の方


みんなでお料理!おいしかった!


鳥公園ペリカンが飛ぶ


全部ペリカン。
ここで子どもを産んで育てて3か月くらい滞在するみたい。


クリスマスディナー!バックはサンルイ橋。

2014年12月20日土曜日

教育スペシャル週間!ンベッティ村での活動

Bonjour!

セネガルは朝晩かなり冷える季節になりました。(20度くらい)

そしてハルマッタンの影響で、砂が凄い俟っていて、常に曇っています。

今週月曜から金曜日まで、ある村で「教育スペシャル週間」と銘打ち、活動していました。

その村はダーラから約4キロ、5キロ、シャレット(馬車)で30分弱、歩いて1時間弱の場所に位置していて

約200人弱の住民がいるンベッティ村。民族はプラール族(遊牧民)。

今年3年目になる村の小学校には2,3年生の子ども40人と1人の教員。

活動内容は、毎日休み時間後の11時半から14時まで、毎日音楽・体育・図工を行うというもの。

基本的に、私は市内で活動しているので、なかなか村に足を運びません。

また、市内だと1つの小学校に12~14クラスあるので、1日頑張って6クラス授業出来ます。

村だと行くのに時間がかかり、尚且つ出来て1,2クラスくらい。(もちろん村による)

もともと市内を中心に巡回するための要請内容なので、バイクもなし。

昨年は定期的に行くことに挑戦してみましたしたが、やはり体力的にも時間的にも

効率的にもよくなかった。ということで、今年は短期集中!効率的にかつ効果的に先生にも子どもにも

出来ることないかなと思い企画した経緯です。

1週間、ハプニングだらけ、予定通りには何も進まない、先生との口論、住民と学校の近さ

いろいろ学びました。感想一言「疲れた~」(笑)

新しい事を行うには、本当に体力がいりました。けど、やってよかった。

市内と村で一番違うなと思ったことを1つだけ。

それは「学校と住民の近さ」でした。

どういうことかというと、小さい村なので、みんな知り合い。子ども同士も朝から晩まで1つの村で

一緒にいるわけです。先生はこの村の人じゃないけれど、何だかこう学校のクラスでも

みんな家族みたいなのです。

学校に塀はないので、体育をやっていたら、お母さんたちやお父さんたちは出てきて

一緒に応援したり、どっかの知らないおじちゃんが授業を手伝ってくれたり

授業が終わったら、保護者の人たちがご飯食べてけ!となり

ご飯とお茶をして夕方までおしべりしたり。

先生は1人しかいないので、1人では出来ることは限られています。

だからこそ、保護者の力が必要で、親が教育に関わる。

ダーラは3万人が住んでいるので、全員が顔見知りなわけではなく、

小学校でも先生の数が多いので、先生たちだけで何とか出来てしまう。

そういう意味では、村は、本当に大家族みたいだなあという印象を受けました。

さて、報告書書き始めます。

この1週間手伝ってくれた同期ダーラの森村隊員に感謝です!


体育!1日目。説明をする先生


体育4日目!


2日目音楽の授業様子


体育を行っていると応援にきてくれた保護者たち


5日目図工。セネガル服!壁にそのまま貼りました。(笑)ノリは小麦粉ノリを使用



5日目。すべて終了し、子どもたちへ鉛筆をプレゼント。


3日目図工。新聞紙を使ってコラージュ。


最後にみんなで記念写真!


おまけ。ヤギの子どもがかわいすぎる

2014年12月14日日曜日

家族の定義が広いワケ~一家族30人は当たり前~

Bonsoir

今日の晩、友達の家にいてディスカッションしていた時

友人の叔父だという人が家に来て

ものすごい勢いで絡んできた。

そしてかなり酒臭かった。

その絡み方は悪酔いとでもいうように、気持ちのいいものではなかった。

ましてや、イスラム教でお酒は禁止されている。

かなりめんどくさかったので適当にあしらっていたが、仲いい友人の叔父だと言うから

あしらうにも、かなり無下には出来ない。

友人を見て助けを求めるが、何も言わない。(このことに私は少し腹立った。)

後でその酔っ払いが違う人の所にいったのだが、なんてセネガル人は優しいのだ!と感じた。

ちゃんと無視しないで相手してあげているのだ。(笑)

そこで、友人にセネガル人は優しいね。日本だったら、どうしようもないような人間にもっと冷たいよ。

と言った。

その叔父という人は、働いてもなければ、禁止されているお酒を飲み、酔っ払い

タバコまで片手に吸っているのだ。(そして絡んでくる)

そんな私に、友人はこう説明した。そしてなぜセネガルは家族の定義がこんなにも広いのか

少しだけわかったような気がした。

友人は私にこう言った。

「例えば道に知らない人がいて、助けが必要だとする。

例えその人が知らない人でも、こう思う。もしかしたら、彼の親やその親

家族や親せきの大人に、僕が知っている人がいるかもしれない。

そうであれば、この人は兄弟になる。助けが必要ならば、助けない理由はない。」

またこうも言った。

「例えば、◎◎という村に知り合いがいる。そこの家では、僕は好きな時に寝れるし

好きな服を着れるし、好きな時にシャワーを浴びれる。隣町にも家族がいる。

そこでも僕は好きな時に好きなことが出来る。1年くらいいても誰も何も言わない。

例えば今この目の前で、君がここで寝ても誰も何も言わない。だって君は僕の友人だから。」

彼らからしたら、自分より年上の人たちは敬うべき存在で、

どこかでその年上の人たちと繋がっている自分の周り、もしくはまだ会ったこともないような人にですら

家族の一員だと言う感情を馳せるようだ。

「友人が痛みを感じれば、僕も痛みを感じる。」

私は、そのめんどくさい酔っ払いを、外に出すべきだよ

とか言っていたのだが、友人の家族の人たちの優しさに感動すら覚えた。

仕事もしないで、禁止されているお酒を飲み、たばこを吸う(そのお金はどこから?とも思うが。)

日本では相手にされないだろうと思う

冷ややかな目で見る人が大多数ではないだろうか。

けれど、この国では、そういう事で人の価値を測らない

お祈りの時のように、神の前では、大統領も教師も家政婦も子どももフリーターも

みんな一緒なのだろう。

建前もあるのだろうけれど、彼らは本当に家族のようによくしてくれる。

そこに日本での生きにくさと、この国での生きやすさがあるのかなと感じた

一長一短で、何かを得れば何かを失う

セネガル人が「セネガルはいいぜ!」という理由は、大部分はここにある気がする

ただ、働いて家族や周りの働いていない人たちを助けている(養っている)人たちからは

「1人で10人も養わないといけないんだよ」とか

「セネガル人は働かない」とかいう事もしばしば聞く。

国の発展という意味では、障害になる部分でもあるのだろうし

働いている人たちからすれば、いい気持ちにはならないことだろうと思う。

友人は一例にすぎないかもしれないけれど

でも根底には、友人が説明してくれた考え方が伝統的に残っているんだろうなと感じた日でした。


友人の家には多くの人が出入りする(私はもはや血縁関係がよくわからない笑)

2014年12月11日木曜日

移動の2週間~健康診断やら試験やら~

Bonjour!


11月はたくさん書いていたのに、12月は初更新。

12月に入ってから移動が多い日々を送っていました。

そしてがっつり風邪もひきました。季節の変わり目はどこでも風邪を引きやすいですね。

12月頭には3日間の1年次健康診断。幸いお腹に虫はおらず、大した異常もなく

一安心。ちなみに同期10人中4人がお腹にアメーバを飼っていて

虫下しを処方されていました(笑)水や生野菜に気を付けないといけないですね。

それから、1月に帰国される先輩隊員が先週金曜にダーラに遊びに来てくれました。

遠いところ嬉しかったです。

そして今週はフランス語の試験、通称DELF(デルフ)を受けてきました。

この試験、レベルは6つあり、一番下がA1一番上がC2となっています。

派遣される前の語学訓練で、大体A2くらいの能力があると言われています。

B2レベルは「DELF B2レベルでは、使用者はさらに自立の度合いを増、自分の意見を主張するために筋道の通った議論の流れを作ることができ、自分の見解を展開し、交渉することができます。このレベルの受験者は、社交的な談話の中で流暢に会話を交わし、自分の間違いを自分で修正することができるようになっています。

引用:http://www.delfdalf.jp/b2/b2_jp.htm

10回ほど、知り合いの先生に試験対策をしてもらっていましたが

リスニングで撃沈。。。結果はどうでしょう。。。

今ある力は出し切れたかなと思うので、まあよかったです。

開催された場所サンルイは、セネガルの観光地なので

少し買い物して帰ってきました。

さて、来週は村で1週間活動です。

「情操教育週間」と題して、子どもと村の先生と色々アクティビティーを企画。

どうなるかな~という気持ちもありますが、ワクワク!

ひとまず風邪を治さないと。

フランス語の先生。活動先の学校では同僚。友達価格でマンツーマン授業をしてくれた。


来週活動予定の村の小学校の先生の家族。コリテ等、行事の時にもお世話になっている家族。
打ち合わせで家を訪ねた時の写真。この日も晩御飯を食べて帰った。


お母さんに怒られて泣いた後の顔が何ともいい(笑)


健康診断時、隊員ドミトリーを整理整頓・掃除するのが恒例。
35年間にわたって派遣されて来たセネガル隊のドミはすごい本の量。
ほぼ半日係で手分けして家じゅう綺麗になりました!


首都ダカールに上京時、韓国ボランティアが「韓国フェスティバル」を大学で開催。
参加してきました。
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