2013年12月27日金曜日

食べるということ

Bonjour!

せっかくの休みなのに!私は完全に風邪をひき、ご飯に呼んでくれる隣人のおかげで生きています。(笑)
寝正月は避けたい!!!

昨日26日は他の任地から先輩隊員がダーラに遊びにきてくれました!

そして夜はダーラにいるJOCV3人と来てくれた先輩隊員の4人で焼き鳥とから揚げを作りました!

もちろん、鳥はさばきます。

今まで羊や牛がさばかれているのは見たことがあるけれど、鳥は初めて。

4人だったので2羽さばきました。

まず足をくくって、足を上にして吊るし、頸動脈を切って血抜きをします。

私は切らなかったけれど、見ていました。

そして40度くらいのお湯にすぐつけて毛を剥いでいきます。それから解体。解体は私もやらせてもらいました。

解体しながら、ここが軟骨で、ここが肝臓で、ここで砂肝で・・・・というように教えてもらいました。
(先輩隊員は本当に頼もしいです。)

言葉にしてしまうと簡単でグロテスクに見えるかもしれないけれど、

私は肉を食べる人ならば、こういう経験をすることは、とても大切だなと感じました。

自分でこういうプロセスを経てお肉をいただくと、いろんな事がわかります。

1羽の鶏から、どれくらいの量の肉が取れるのか。私は思っていたよりも少なかったです。
日本の居酒屋で食べていたから揚げの量を思い出しました。

なんこつもそうでした。1羽の鶏から軟骨は1つしかとれないそう。
居酒屋で軟骨のから揚げを頼んだ時の量を思い出しました。

ささみも1羽からとれる量は少量でした。

食べれるところは綺麗に、残さず4人で食べました。

こういう過程を経ると、食べ物を無駄には出来ないな、と感じます。

そして何とも儚いなあ、と思ってしまいました。

2羽の鶏の命が一日のそれも夕食1回の4人の人間の食欲を満たすために消費されました。

ふと、今まで23年間たくさん肉を食べてきて、どれくらいの命をいただいたのかな、なんて思いました。

そしてこれから、どれくらいの命をいただいて、自分は生きていくのかなとも思いました。

色んな意見があると思うけれど

私はスーパーでパックに入れられて売られているお肉よりも

ここの人たちみたいに、自分たちで牛も羊もヤギも鳥もさばいて

無駄なくいただく方が、食事のありがたみはわかると思います。

少なくとも、私は昨日そう感じたし、これからも感謝していただきたいです。






2013年12月25日水曜日

インシャーラ

Bon soir!

ここにきて初めて風邪っぽいものにやられ、たくさん寝て過ごしています。

何となく、気を張っていたのが、休みで少し緩んだのかな。

日本はクリスマスですね!(^^)!

セネガルでは95%の人がイスラム教と言われているので

クリスマスとは無縁の日々をセネガルで送っています。

むしろ、なぜクリスチャンじゃない人が大勢なのに、日本ではあんなにクリスマスが

イベントとして定着したのか不思議に感じているところです。(笑)


そんなこんなで今日はセネガルのイスラム教について少し書きたいです。

ありきたりなのかもしれないけれど、宗教は生活に大きく関係してくるもの。

前述したとおりセネガルは95%がイスラム教なので、多くの事がその影響を受けています。

「言葉」もその1つで、一言目のあいさつは

A salaa maalekum! アッサーラマレークム!

これはアラビア語で「こんにちは」

これを言われたら

Maalekum salaam! マレクムサラーム!

と答えます。

そのほかにも多く登場してくる言葉は

Insalaa! インシャーラ!

直訳すると「神様お願い!」って意味らしいのですが

これは毎日耳にします。

何か約束をするとき。別れの挨拶をして、また明日ね!という時。

とにかく少しでも未来の事についていう時は、最後にインシャーラといいます。

セネガルについて現地語の語学訓練を受けていた時の先生が教えてくれました。

イスラム教では、

過去はすでに神が作ったもの。

現在は神が作っている。

そして未来は神が作るもの。

未来に約束があっても、人間が未来をコントロールすることを神様はよく思わない。

だからインシャーラ。神のみぞ知る。

あと、アルハンムリラーイも毎日聞きます。

意味は「神様ありがとう。」

もし悪いことがあっても、それは神様が示した道から外れたからだ。

もしいいことがあっても、それは神様がくれたもの。アルハンムリラーイ。神様ありがとう。

普段の会話はこんな感じです。

:A saala maalekum!          アサラーマレクム!こんにちは!
:Malee kum salaam!          マレークムサラーム!こんにちは。
:Nanga def?               ナンガデフ?何してるの?(=元気?)
:Maangiiy fi.               マンギフィ!ここにいるよ。(=元気だよ)
:Ca va?                  サバ?元気?
:Ca va bien merci.            サバビアンメルシー。元気だよ、ありがとう。
:Yaangiy ci jamm?           ヤンギーチジャム?平和か?(=元気か?)直訳はあなたは平和の中にいますか?
:Wow, maangiy ci jamm.        ワオ、マンギーチジャム。平和だよ。
:Naka waa ker ga?           ナカワークルガ?家族はどうしてる?
:Nu nga fa.                ニュンガファ。家族は向こうにいるよ。
:Yaangiy ci jamm?           ヤンギーチジャム?平和か?
:Wow, alxamdulilaay............      ワオ、アルハンムリラーイ。うん、神様ありがとう。

こんな感じで友達や同僚とは毎日一人ひとりに挨拶します。

約束事やどうしてもこの日まで!っていう切羽詰まった状況で

インシャーラを言われると。。。って感じの事が多々あるようですが、

今のところ、まだ切羽詰まった状況になってないので、体験していません。

でも、インシャーラって私は結構好きです。(この気持ちがどう変化するかはわかりませんが。笑)

何だか明日がくることが当たり前に思いがちな気持ちを

現在に引き戻してくれるような気がして。

毎日必ず5回あるお祈りも

毎日モスクから聞こえてくるアザーン(お祈りの時間を教え、お祈りを促すもの)も

いつの間にか普通になってしまっている最近。

宗教がもつ力はかなり大きい。

たまに「イスラム教なの?」とか「宗教は何?」という質問をされます。

私は「アニミストだよ」って答えています。

アニミストはアニミズムを信じている人、つまり多くの自然界のものに神が宿ると信じているということ。

この答えがいいのかはわかりませんが、もっとうまく説明できるようになりたいですね。


家の横にあるモスク。


今日も綺麗な夕日。

2013年12月23日月曜日

セネガル料理!

Bonjour :)

あと2012年も1週間ちょっと。

セネガルの家庭ではどんな風に過ごすのが普通なのかな。

楽しみにしています:)

セネガルの食事事情を少し紹介。

セネガル料理は日本と同じく米が主食です。

米と言っても日本米みたいにふかふかしてないです。

パサパサしたタイ米みたいなやつです。(というかタイ米なのかも)

【朝ご飯】
朝ご飯はフランスパンとその間に何かはさんで食べます。

朝食屋さんも多いです。

玉ねぎを炒めて味付けしたやつとか、ゆで卵とか、豆を煮たやつとか、スパゲッティとかがあります。

卵は1つ20円くらいするので、卵を朝食に食べると少し豪華。

大体朝食屋さんに行くと、あたたかくてかなり甘いカフェトゥーバをつけて40円~70円くらいで食べれます。(自分でパンの中身を選ぶので、それによって値段が変わる。)

昼食は、セネガル人が一番気合を入れるところ。

ママたちは朝10時くらいに買い出しに行って、だいたい2時から3時の間に食べます。
(学校は1時に終わる。)

なので約3時間かけて作るんですね~!

ママたち大変!!

でもセネガル料理は本当においしいです。

特に手で食べるとなおさらおいしい。



これは村に行った時のご飯。ご飯と野菜。チェブアックレギュームです。
男性は基本的にスプーンで食べてる。


これはある家庭での朝食。フランスパンは1本175フラン。(35円くらい)
半分だと20円くらい。


これはチェブヤップ。
チェブは現地語で米。
ヤップは現地語で肉。
牛肉料理です。かなりおいしい!さばきたてだと尚更うまい!!


手で一掴みして、ぎゅっと握って食べやすいようにします。


私はまだうまく出来ないけれど、こうやって小さくまとめて
食べます。握力がつきそう。笑

見てわかるかわかりませんが、
セネガル料理、かなり脂っこいです。
そして香辛料をかなり入れるので、繊細な味とは程遠いです。

しかし、かなりうまい!
セネガル人はいつも誰かかしらご飯に呼んでくれるので(さすがテランガ!)、
たくさん食べさせてくれます。
食べ終わった人から、席を立つのですが、
レッカルレッカル!(食べなよ食べなよ!)
ドーアン!(全然食べてないじゃないか!)
と絶対言われます。
なので、腹8分目くらいでお腹いっぱいだよって言っておいて、
まだ食えよ~!
って言われて少し食べてお腹いっぱいにするのがコツです。笑

2年後ぜひセネガル料理覚えて帰りたいなあ~^^


2013年12月21日土曜日

1学期終了

Bonjour!

お久しぶりです。前回の記事では、FBでのたくさんのコメントありがとうございます。
各国にちらばった同期隊員の声や日本の友達、家族、仲間には、いつも力をもらっています^^

ブログを書くのが久しぶりになってしまいました。

今年も残りわずかですね。

セネガルの小学校では昨日金曜日が最後の授業でした。

1月6日まで2週間ほど休暇になります。

セネガルに来て、そしてこのダーラに来て、

1か月半ちょっとが経ちました。

最近は音楽と体育を中心に行っていました。

授業営業です。授業が出来そうな学校を当たって、

フランス語で書いた指導案をもって、次こんなことがやりたいんだけど!

ってアピールして、OKもらった先生と授業をしていました。
(もちろんみんながいい顔してくれるわけじゃありません。)

6~7校巡回しています。

しっぽ取りゲームや体を使った音階指導などを中心にやりました。

1回の授業を行うだけでも、ものすごいエネルギーを使います。

まだまだ慣れていないことも多いんだと思います。

正直この1か月半は、たくさん悩んだ気がします。

1ミリずつ前進しては、後退して、また悩んでってことを繰り返す。

任地について学校は始まっていて授業はあるので、

仕事はあるけれど、どう行動していくかが難しくて

とりあえず突っ走っては、立ち止まって

また突っ走っては、立ち止まって悩んで。

なかなかいいバランスをつかめませんでした。

どこか肩に力が入っていたのかな、と思います。

この2週間しっかり頭も身体もリフレッシュして

1月からは、また新たに元気に活動できればいいなと思います。

1学期終了の2日間、私が主で活動する予定の学校では

「ケルベス」と呼ばれる行事がありました。

学校では学校運営のためのお金が足りず、
(セネガルでも小学校は義務教育なので、本当は政府が出すお金)

お金の創出活動をしている学校があります。

ケルベスもその1つで、学校に8つほどの遊びを用意してあり、

子どもたちはまず学校に入るために入場料50フラン(10円くらい)を払います。

そして1つの遊びをするために毎回25フラン(5円くらい)を払います。

音響もちゃんとあって、音楽が鳴り始めたら、子どもたちはみんな踊りだし始めます。

本当に生まれた時から体に染みついているかのように、ダンスがうまい!!

何だか少し余裕をもって久しぶりにセネガルの文化に触れれた気がして

とても嬉しく、私も楽しみました^^






2013年12月7日土曜日

Respecter

Respecter


多くの事が違う中で
日々、相手との衝突や自分の中で葛藤があります。

でも、その中でも基本的には相手の文化を尊重したいです。

でも、時にはどうしても受入れがたいことがあります。

例えば。

セネガルはおもてなしの文化でテランガと呼ばれています。
お昼ご飯は誰かが食べに来いって言ってくれるし、
少し話して仲良くなるとすぐに、ご飯食べていけって言ってくれます。
みんなで大皿で手で食べるセネガル料理はとてもおいしいです。

そしてセネガル人同士は家にもわりと勝手に入っていきます。

みんなあまり気にしません。

ご近所さんとかはしょっちゅう出入りしています。

私はしょっちゅう隣人さんが昼ご飯に呼んでくれるので(ほぼ毎日)

いつも一緒に食べてます。

基本的には家に人をいれるのはあまりよくないのですが

「なぜお前はいつも来るのに、私たちは入ってはダメなのか。」

と言われれば、かなり断りにくいです。

何日か前、隣人の中学生の女の子とお手伝いさんが

ギターを弾いてほしいと、食事後に私について

家にきました。(というかベランダが共有なので、すぐそこ)

結構仲よしなのですが、家に入れて失敗した、と後から思いました。

パソコンはひろげたままだし、スマホはあるし、

本はたくさん積んであるし、ギターはあるしで

それらを見て、マイマ攻撃がきました。
(マイマは現地語で「ちょうだい」の意味)

結構打ち解けてると思っていた自分が

彼女たちを実はあまり信用していなかったんだという事にも気が付きました。

そして何だか、圧倒的な環境の違いも感じました。

「なんで家に入っちゃダメなの?」

という問いに対するいい答えがなくて、いつも困ってしまいます。

相手の文化を尊重したい。けれど、やっぱりすべてをすべて

受け入れることはできなくて(その必要もないのかもしれないけれど)

Respecterしながら、うまく関係を築いていくのって難しいなあって思います。

文化が違うから
人種が違うから
言葉が違うから

いろんな違いがあると、何かに衝突したときに、原因をそのせいにして

考えることをやめてしまうのは簡単だと思います。

でも、それって何だか悲しいなって思います。

そんな簡単になんて理解は出来ないけれど

相手を尊重しつつ、理解しようとする姿勢だけは

なくさないでいきたいなあ、と思います。


隣のリンゲール市に行ったとき、同期の友達の活動場所で、ちょこっとお手伝い。


市内にあるスタジアム。リングのないバスケットゴール。

2013年12月3日火曜日

大事な失敗

Bon jour!
最近なぜか急に暑くなってきています。

洗濯するだけで汗だく。
あ、もちろん洗濯機なんてないので、手洗いです!2年間手洗い。
かなり慣れたと思う!

最近よく思います。

「考えてるだけじゃわからない。」

私の任地には12校の小学校があり、

私の要請内容には「情操教育を巡回しながら指導。算数授業の質向上も。」

簡単にいうとこうなのですが、

まず迷うのは学校決め。

そして教科も、体育・音楽・図工・算数と出来る幅は広い。

そして学年選びも迷う。

任地について1か月。なかなか授業に介入できずに

ただ見ているだけで終わっているような気がして

すごくもやもやします。

自由ではないけれど、ある意味自由。

何が問題なのか。その中で私に出来ることは何なのか。

じゃあどこからアプローチして、目標はどこに定めるのか。

そこまでに達するプランをどう組み立てるのか。

そこには現地の先生のニーズはしっかり組み込まれているのか。

独りよがりのものになっていないか。

などなど。焦る必要はないと思っても

幅が広く設けられている活動なだけに

ものすごく迷う。

そして、学校で授業を見ていると

問題点やもっとこうしたらよりよくなるのになー

っていう点はたくさん見えてきます。

やりたいことだってたくさん浮かんできます。

でも、思っているだけじゃ全く伝わらないと改めて実感。

自分の考えや、アイディアを、フランス語で紙にまとめて提案するなり

実際に作ってみたり、授業を自らして示したり

相手に伝わるように形にしないと

ただでさえ言語の壁があるのに伝わるわけがない。

そして行動してみないとわからない。

授業見学よりも、やっぱり実際に授業してみて

分かったことの方が多かった。

もちろん最初は失敗したけれど、そこから学ぶしか

前に進む方法がない。

当たって砕けろではないけど、

砕けない程度に当たって

どんどん自ら失敗しにいこう。(もちろんやれるだけのことはやる。)





2013年12月1日日曜日

見える世界

同じ世界に生きていて

同じ風景を見て

同じ空気を吸って

同じご飯を食べているのに

見ている世界が全く違ったり

感じていることが全く違ったり

生きている世界が違ったり

そんな不思議な感覚を最近よく感じます。

人はみんな違うから

違いを感じることは、ましてや外国では当たり前の事かもしれないけれど、

宗教や言葉、お金、優先順位(セネガルでは昼休憩は長く、小学校では3時間ある。)

大きな感覚の違いを感じるとき

見ている風景は同じでも

私と彼らの中には、確実に違うものがあって

そんな感覚が不思議で、楽しくて、わくわくして

もっと知りたくなる。

ここでは、ここで流れている時間があって

人々の生きている速度がある。

セネガルに来て2か月。

少しはセネガルの人々と

同じ歩幅で歩けるようになったのだろうか。