2014年10月28日火曜日

見ているだけ?葛藤の日々

Bonjour!

今日の一光景。

月曜日に活動しているある学校。

先週、学校の先生3人が転勤して、新しい先生が1人来てました。

女性の先生で2年生のクラスを担当することになりました。

休み時間が終わって、その先生のクラスに行きました。

この学級の子どもたちは

昨年1年生だった時に、一緒に図工や音楽をしたクラスで

子どもたちも私が何を教えてくれる人かわかっています。

でも、新しい先生がどういう先生なのか、どういう指導方法なのか

そもそもまだ子どもと先生の信頼関係が築けていない中で

授業に私が介入しても、まだ早いなあと思ったので

とりあえず見てました。

算数の授業をしていました。

15分くらい経ったとき、先生が教室からいなくなりました。

何だか後から聞くと頭が痛かったようで、教室のまえで座っていました。

でも、クラスからは見えません。

もちろんまだ2年生の子どもたち。騒がしくなります。

ケンカもし始めます。それが15分ほど続きます。

私はひたすら観察をしていました。子どもたちがどういう行動をとるのか。

先生がどういう行動をとるのか。

先生と何か一緒に行うには、信頼関係が必要です。

またどんな先生なのかによって対応の仕方も変わってきます。

この先生の事は何も知らないので、観察に徹していました。

15分後先生が戻ってきました。しーんとなります。

先生はもちろん怒ります。だってうるさかったから。

静かに待っていられなかったので、鞭で罰を与えようとします。

子どもたちもビクっとします。

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私はどういう行動をとるべきだったのでしょうか。

先生がいない15分間、私が何かするべきだったのでしょうか。

そしたらこの子どもたちは罰を与えられずにすんだのでしょうか。

でも、それでも今日は鞭を使わなくても根本的には何も変わらないのではないのだろうか。

また、静かに待っていなさいという指示を私が勝手に変えて授業をやっても

先生との信頼関係が築きにくくなるのではないのだろうか。

そして代わりの先生と勘違いされても困ります。
(たまに、ボランティア=代わりに授業をやってくれる人を思っている先生がいる)

私自身もこの先生とは初対面でした。

迷いました。

授業を出来ないことはない。けれど、、、、

色んな葛藤がありました。

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その先生は鞭で罰を与えようとしたのですが、教室に鞭がなく

他のクラスへ探しに出ていきました。

ここで、下校時間まで残り15分。

おそらく待っていても、すぐにはこない、結局勉強せずに下校する可能性大

だと予想し、騒がしいだけなら、授業をやろうと決めて

音楽の授業を先生がくるまで行っていました。

歌が大好きなクラスだったので、元気いっぱいに昨年一緒に習った歌を歌います。

そして新しい歌を現地語(ウォロフ語)で教えているときに先生が戻ってきました。

先生は去年歌を一緒にやっていたことを知らないので、

「じゃあ、担任の先生のために去年習った歌を歌おう!」と言って

一緒に歌いました。歌い終ったあと、先生も「素晴らしい!」と言ってくれて

子どもたちも理不尽な罰を受けずに、そして先生も子どもたちを褒める場面になって

何か行動してよかったと心から思った日でした。

何もしないで罰を受けるのを見ていることも出来る。

ただ、目の前にいる子どもたちに何か出来る場所にいながら

何もしないで見ているだけ。今回の場面では、それはどうなのなのかと思いました。

対応の仕方や行動の仕方は先生やクラスによっていろいろですが

基本は、先生との信頼関係を壊さないように、そして、子どものためになるように。

簡単ではありませんが、セネガルの学校現場で

先生と一緒に何かを行っていくには、それはすごく大切なことだと感じました。


朝フランスパンを買いに行くときに、毎朝見れる朝日。


2014年10月22日水曜日

la lumiere

la lumiere

光を見つける強さ

何か壁にぶち当たった時

無意識に言訳を考える

ああ、きっと私が出来る範囲のことではないんだ

ああ、世の中にはどうしようもない問題というものがあるんだ

自分がどうしようもないと諦めかけている事を出来ている人を知った時

無意識に言訳を考える

ああ、この人はきっと私にないものを持っているんだ

ああ、きっと環境が違うんだよ

自分を正当化するために

でも、どこかでそうじゃないはずだという気持ちも抱えながら

実際に、ここでもすごい人という人はたくさんいるわけで

その人たちに共通するのは

諦めたくなるような状況でも

必ず「何か」があるはずだ

必ず何か「出来ること」があるはずだ

と信じる強さ、光を見つける強さだと感じた

それからは、言訳を考えないで本当に小さなことでも

「出来ること」を探すようになった

全くもって簡単じゃない

壁がないことなんてないし、悩まないことなんてないけど

この1年、少しは「光」を見つけようとする心の強さは

すこーしだけだけど、強くなったかなあと思う

今、まさに壁にぶち当たっているのだけれど

アプローチ方法は色々あるという事を念頭に置いて

壁にぶつかっても何か出口があるはずだ、と信じて

頑張ってみる


2014年10月7日火曜日

Tabaski 2014~タバスキの由来~

Bonsoir!

もう10月。今年もあと2か月ですね。あっという間に2015年!

さてセネガルでは、というか世界中のイスラム教徒には重大なイベント、

「犠牲祭」がセネガルでは5日にありました。(セネガルではタバスキと呼びます。)

任地で迎えるタバスキは初めてで、来年はタバスキにはもう日本なので

最初で最後の任地でのタバスキ。お世話になっているセネガル人の家族の家で

朝から晩まで、一緒に祝わせてもらいました。

タバスキ。犠牲祭と日本語で呼ばれるからには、動物を殺して食べるわけですが、

wikiとか、何となくの知識で、息子を殺せと神に命令されて、代わりに動物を

生贄にして、その血をささげたから犠牲祭というのかなあ、くらいにしか知りませんでした。

今回、タバスキで動物(セネガルの場合は羊)を殺して家族で食べるという儀式は

どこから始まったのかな、と疑問に思ったので、結構厳格なイスラム教徒である

セネガル人上司にあれこれ聞いてみました。

長いので写真の下に載せてみます。興味があれば。

今回のタバスキでは、最後という想いもあり、何となく感慨深いものでした。

朝から羊の解体を見て、ご飯作るのを手伝い、みんなで感謝しながら肉を食べて。

お腹が空いても我慢して、みんなで大皿で囲むご飯は何よりもおいしい。

喉が渇いた時に、飲める冷たくて冷えている水。

お祝いだからと、いつも飲まない炭酸ジュースを飲むこと。

こんなにたくさんのお肉が一度のご飯にのっている事はまずない。

綺麗な服と靴に身を包んで、髪型もとびっきり可愛くした女性たち。

綺麗でかっこいい、新しい服に身を包んだ男性たち。

セネガル服に完全に着せられている子どもたち。(笑)

何だか1つ1つが幸せでした。

そんなこと、と思うかもしれないことばかりだけど

暑くて暑くて暑い中、喉が渇いて飲む冷たい水は、ものすごい幸せ感を与えてくれました。

そんなことを感じていた2日間でした。(お世話になっているセネガル人家庭に2日かけて

挨拶回りをしていたため。)

アルハンドゥリラーイ!


玉ねぎムキムキ。


羊解体前


炭酸ジュースをそ~っと持とうとする子ども。


当日お世話になった家族と集合写真!


こんなに小さくても、おしゃれに敏感!


2日目挨拶まわり。お世話になっている家族と集合写真!


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さてタバスキの由来です。細かいところは間違っているかもしれませんが

大体の流れは合っていると思います。

「預言者の1人であるイブライマには1人の妻がいました。

でも、長い間ずっと子宝に恵まれませんでした。

やがてイブライマは自分の家の家政婦さんを2人目の妻にしました。

1人目と2人目の妻の関係はよくありませんでした。

なぜなら2人目の妻との間には子どもが出来たからです。

1人目の妻は神に祈りました。そして神はイブライマに言いました。

2人目の妻と、今の家を出るべきだ。と。

2人(と赤ちゃん)は、神に言われたとおりにしました。

彼らはメッカに移りました。しかし、周りには水も、なにもありません。

砂漠です。彼らはカーズを立てて、暮らそうとしていました。

ある時、イブライマは1人目の妻の家を訪ねようと試みました。

しかし2人目の妻は泣きます。2回目も同じでした。

イブライマは行くのをやめました。妻が行く理由を聞いても答えません。

しかし3回目、2人目の妻が泣こうと、彼は行こうとしました。

妻は聞きました。「それは神が言っている事なの?」

「そうだ」イブライマは言いました。

神が言っているなら仕方ないと、妻も受け入れました。

しかし、彼女は小さな赤ちゃんと2人きり。水もありません。

そこで仕方なく、赤ちゃんを家に置き、山へ水を探しに行きました。

しかし見つかりません。諦めて家に帰ると、家のすぐ横に、水がありました。

この水は天国にいる人だけが飲める水で、ドゥドゥと呼ばれています。

彼女はその水を飲み、その水で料理し、洗濯しました。

すると、他の場所から、その水を求めて多くの人が彼女の所へやってきます。

彼らの息子も成長していきました。

イブライマは1人目と2人目の妻の家を行ったり来たり。

ある時、神はイブライマの信仰心を確かめるために、こう言いました。

「息子を神への生贄にしなさい。」と。

イブライマは、神が言うのであれば、と承諾しました。

彼は2人目の妻に聞きました。妻は言いました。神が言っている事ならば。と。

そして息子にも聞きました。

息子も「神が要求しているのだから、殺すべきだ」と。

イブライマは、息子を殺そうとします。

土に血が流れるようの穴を掘り、

そこに喉もとが来るように置き、

ナイフで首元を切りました。

がそのナイフは全く切れません。

そこで別のナイフを使いますが、地上に存在するナイフのどれを使っても切れません。

そこで周りの人々は、目隠しをするように言いました。

息子とわかると、見えると切れないのだから。と。

そこでイブライマは目隠しをしました。

しかし切ろうとしても、ナイフでは切れません。

それを見た神は、「一番大きな羊を連れてきて、代わりに生贄にせよ」といいました。

それを聞いたガブリ?(神と預言者の間にいる人?天使?)は急いで天国に行き、

一番大きな羊と彼の息子を取り換えました。

イブライマは、喉元を切って、ナイフで殺しました。

目隠しを取ってみると、目の前には殺した羊がいて、

彼の後ろには息子がいました。それがタバスキの日。

それ以降、神は毎年、このような行事を行うように命じ、

それが今のタバスキになっています。

羊がいなければ、馬、牛、ラクダ。の順に、動物を変えてもいいよう。

メッカでは、この順番は逆になるそうです。

2014年10月3日金曜日

どうもありがとう

Bonsoir!

先日、両親から日本食の助け段ボールが届きました。

はるばる14,000キロも船で海を渡ってきてくれました。日本食。

中を開けてみると

まずは大量のトイレットペーパーとポケットティッシュ。

それから、たくさんのレトルト食品。缶詰。ノリやお菓子。

ああ、しばらく生きていけそうな気がします。(笑)


頼んでいないのにも関わらず、お父さんとお母さんからのプレゼントと

送ってきてくれた段ボール。

よく見てみると私の好きな物ばかり。

サケフレークや味噌ラーメン。さんまの蒲焼缶詰。かつお節。コーンスープ。

何だか高校の時のお弁当が懐かしく感じました。

お母さんのお弁当食べたいな

親ってすごいですね

ここまで好きなことをやってこれているのも

理解して、応援してくれる両親がいてこそ。

どうもありがとう。

さっそく今日ご飯を炊いて、さんまの蒲焼缶詰を食べました。

水少なくてご飯かたかったけど、とてもおいしく頂きました。

そして先日誕生日を迎え、首都にいたので同期隊員や協力隊のみんなに

祝ってもらいました。

去年の誕生日に出国してから1年。来年の誕生日は日本です。

最初で最後だろう、セネガルで協力隊のみんなと過ごせる誕生日。

感慨深いものがありました。

みんなと誕生日を過ごせて嬉しかったです。

どうもありがとう。


誕生日ケーキとシャンパン


同期のみんなと大使館にて1年報告会を行いました。