2014年2月22日土曜日

奴隷貿易

Bonsoir!

遅くなりましたが、先々週末に3か月ぶりに首都のダカールへ上がっていました。

隊員総会といって、セネガル全土にいるJOCVが全員集まります。

3か月ぶりに同期とも再会。髪伸びてたり、ひげはえてたり、痩せてたり太ってたり

面白かったです。少し長めにダカールに滞在し、世界遺産であるゴレ島に行っていきました。

ゴレ島は、16世紀から19世紀にかけて、かつての奴隷貿易の拠点となった島です。

アフリカ各地から奴隷が集められ、他国に労働者として売られて行きました。

とてもきれいな島でした。




島に着き、歩いていると、話しかけてきたのがセネガル人でゴレ島在住のカペロ。

最初は案内してもらうつもりはなかったのですが、話しているうちに仲良くなって、

島全体を案内してもらいました。

陽気な優しい人でした。写真がカペロ。


建物は黄色、赤褐色、白色。かわいらしい綺麗な建物。

でも、実は、建物の色によって、建てた国が違ったのです。

ゴレ島は過去順に、ポルトガル・オランダ・イギリスそしてフランスに占領されました。

どの国がどの色の建物か忘れましたが(ごめんカペロ)、この色の建物はこの国が、この色はこの国が建てたんだよ、

と優しく、でも、目の奥は深く説明してくれるカペロに、何とも言えない気持ちになりました。



有名なのは18世紀に建てられた「奴隷の館」。

1階には各地域から集められた奴隷収容の部屋が、2階には奴隷商人の部屋があります。

私が立っているのは1階で、階段上2階が商人の部屋。

28つものこのような家があって、最後の1つが、ユネスコの世界遺産に登録され、

残りはリフォームされて今も人が住んでいます。

何とも痛々しい「奴隷の館」。

1階の奴隷用の部屋はいくつかの部屋にわかれてます。

男・女・処女・子どもの4つでした。

Enfantsと書いてあります。子ども用の部屋。


Jeunes Filles 処女の女性用の部屋。

また、抵抗した時に入れられる、ものすごく狭い部屋とも呼べない場所や、

連れてこられた奴隷を査定する部屋がありました。男性は60キロ未満だと

太らせるために、違う部屋に入れられ、無理やり食べさせられたんだとか。

労働者として、その方が高く売れるという事なのでしょうか。

また女性は白人との子どもを妊娠すると、この館から出られるということで

自らその選択肢を選ぶ女性もいたそう。

ものすごい狭い部屋に15人から20人、1日に1階のトイレで生きていたそう。

1階には、海が見えるようになっている場所があり、そこで他国へ行く前に

アフリカにお別れを言ったそう。もう2度と戻ってこれないからって。

ゴレ島には今もセネガル人もヨーロッパから来た外国人も住んでいます。

正直思ったことは、セネガルの人々は、この事実をどう受け止めているのかなと

いうことでした。憎んだりしてないのかな。

色んな意見があると思うけれど、私の活動先のある先生は、「僕たちの祖先は他国のために

働いた。そしてそれらの国は今先進国だ。なぜその国だけが発展して、僕たちだけがいつも1番最後だ。」

そう思う気持ちもわからなくもないです。

私はカペロに、正直に「こういう過去があって、フランス人やその他の国のことどう思っているの?

憎んだり、嫌ったりしないの?」と尋ねました。

カペロはこう言いました。

「確かに植民地化したことで、他国が発展した事実はあると思う。けれど、今僕たちはインターナショナルな言葉、フランス語が話せる。フランスが持ってきたものが全て悪かったとは思っていない。それに日本だって、戦争に負けたけれど今はこんなに発展している。それは日本人がたくさん働いたからだ。セネガルをみてごらん。人々は働かない。なのに発展するわけがないんだ。」

でも深い優しい目で、こう言いました。

Il ne faut pas répéter l'histoire comme ça.このような歴史を繰り返してはいけない。

そしてもう1つ思う事。自分の先祖たちがこのような事をしていたと知って、ここに来るフランス人や

奴隷貿易を過去していた国の人たちはどう受け止めるのかなあと。

そしてこれって何だか日本でも問題になっている中国や韓国との歴史問題にも

通じる部分があるんじゃないかと思いました。

特にこの記事を読んでそう思いました。「日中間の戦争の傷がいまだに癒えない理由」

http://www.huffingtonpost.jp/2014/02/14/china-and-japan-seven-decades-of-bitterness_n_4786320.html?&ncid=tweetlnkushpmg00000067

戦争と植民地は違うかもしれないが。

日本の戦略に関して、あまり学校では習わないし、私もかなり曖昧な記憶。

現在のことじゃなくても、やはり未だにその傷が残っている国では、

現在生きている人々に怒りがいってしまうのは、仕方のないことなのかな。

怒りの行き所がないから。

中国やハワイの歴史博物館、いつか訪れてみたいです。


ゴレ島はアートで溢れています。アーティストと一緒に^^






「奴隷の館」1階にある、アフリカ大陸にサヨナラを言う扉からの海。

2014年2月15日土曜日

何もない道









村に行く道

何もない道

そんな道を1人でとぼとぼ歩く

驚くほど、静かで

ちょっと立ち止まってみる。

聞こえるのは

遠くの子どもの声や鳥の鳴き声

遠くでシャレットが走る音

風の音

ヤギが何かを食べている音、、、、、

そんな音たち。

歩いている途中でたまに会う人たち

こんにちは、どこに行くの、ああ、その村ならあっちだよ、遠くないよ、今日は暑いね、またね

そんな会話を繰り返し

またとぼとぼ歩く

途中でごみ山で、何かお金になるものを探しているタリベに出会う

こんにちは

笑顔を見せてくれる子、外国人にびっくりする子、お金をくれという子

色んな反応がある

何もない道

決して効率的ではない交通網

でも、その道でいろんな発見がある

いろんな暖かい気持ちをもらう

私には車もない、バイクもない、自転車もない

たどり着くまでに時間がかかる

ここでは、何事もそんな感じ

効率的ではないこと、日本のように便利ではないことはたくさんある

でも、目的地に行くまでに便利なものがたくさんあって

びゅんと一瞬で行けちゃうのと

時間はかかるけれど、その途中にいろんな出会いやストーリがあるのとでは

どっちがいいのかな。

それは今の私にはよくわかりません。良い側面も悪い側面もある。

でも、時間はかかるけれど、目的地まで着くその途中で起こることは

生きる上で大切なことを含んでいるように思えます。

私がJOCVに応募したきっかけも、一瞬でびゅんと行けちゃう日本の便利な社会に

大事なものまでもを省いてしまっているような気がしたのが大きな理由の1つです。

セネガルでは、そんな大事なものを毎日学ばせてもらっているような気がします。

ボランティアとしてきているけれど、giveよりもtakeが多いです。

これからgiveを増やしていけるように頑張らなくっちゃ。

何もないようで、実はいろいろある道。

これからセネガルでどんな道が見つかるかな。

2014年2月11日火曜日

次世代に残したい3つのこと

Bonsoir!

毎週水曜日に夕方1時間半くらい、ピースコーの友達がEnglish clubというのをやっていて、
私も参加していました^^
セネガルの人々の語学能力はものすごいです。
小学校からフランス語とアラビア語は学校で習います。プラス家では、各民族の言葉。
小学校から3か国語を話すとは。
中学校ではそこに英語とスペイン語が入ってきます。(これはどちか選択?)


とまあ、色んな言語を学習する+各民族の言葉+友人が違う言葉を話すという状況が当たり前のように存在するので、自分の民族の意外の言葉を話せる人も大勢。

そんな中でも、英語=インターナショナルな言葉という印象が強いらしく、

やたら英語で話しかけてくる人もいます。

特に、先生など割と高い教育を受けてきている人たちは、英語が話せるのか?と

よく聞いてきます。いつも会うたび英語で話しかけてくる人も。(笑)

そのため、ピースコーの友達は、行く場所行く場所で英語教えてくれ!!と言われるようで

English clubを開催することになったのだとか。(参加者は学校の先生や校長先生、銀行員などです。)

5日に最後のEnglish clubがあり、1人1人エッセイを書いて発表するというものでした。

私はトピックの1つから、「What are three ideas you want to pass on to the future generation?」

というものを選びました。未来の世代に残したい3つのことか~考えたことなかったな~とか思い、でも3つ挙げてみました。

1つ目、好きな事を見つけたら、とことんやりなさい
2つ目、考え続けなさい
3つ目、そのためにも多くの異なる人々と出会い、異なった視点を得なさい

としました。理由は~~~~~といい感じに書いていました。

でも、途中で手が止まり、それ以上書けませんでした。



ん・・・?誰に対しての言葉なのかな、と・・・。

次世代とは誰の事を想像していたのかな。

日本の子どもと、セネガルの子ども(私が普段出会う子ども)では、将来に対する選択肢の数が圧倒的に違う。

選択肢がない子どもが大勢いて

私が最初に選んだ3つのことは

好きなことをとことん出来る環境にあること、
そもそも好きなことに出会える機会が多く開かれていること、
考えれる引き出しが多くあること、つまり色んな教科を勉強し思考する訓練をしてきたこと
多くの人と出会える、または自分でそのような機会をみつけて、そこに行けるお金や情報があること等

が前提にあって成り立つものだったと気づきました。

一般的に、何もかもが、前提条件として、ここでは当てはまりません。

私が最初に考えた3つのことは

このような前提条件をクリアした子どもたち向けだったのかな、なんて思いました。

途中で手が止まってしまったので、違うテーマでスピーチを書きました。

当日は数人のセネガルの先生方の意見も聞けて

とても有意義な時間でした。

このような場をを設けてくれたこと、そして惜しみもなく、様々な考えをshareしてくれること、

ピースコーの友人や参加していたセネガルの友人に感謝です。



先日、ロバ車を運転させてもらった。
難しい。というか、思いっきり叩けない。笑
子どもはたくましいです。

2014年2月3日月曜日

浮き沈み

Bonsoir

早くも2月ですね。2月は28日しかないので、なおさら早くすぎそうですね!

そういえば、FBでも言いましたが、2014年1月31日付けの

地元、北海道新聞空知版のところに、セネガルと私を紹介する記事を掲載していただけました!

私から持ち掛けた話ですが、高校まで住んでいた地元なので

誰かが読んでくれて、おお、あいつ今こんなところにいるのか~

とか頑張ってるなあ~とか、セネガルってどこなんだろう?とか

そんな少しのことでも、何かしら感じてくれれば、私にはとても価値のあることです。

随時「セネガル通信」を掲載していただけることになったので

3か月に1回くらい書けたらなあ~と思っています!空知に住んでいる方

よろしくお願い致します^^

そしてここでも、

4月からダーラで月1回20分~30分くらいラジオを始めることになりそうなのですが

私ともう1人の同任地のボランティアで日本紹介を毎回違う視点からすることが主旨です。
(隣町では代々JOCVがラジオをやっているのを参考にさせてもらいました。)

理由は日本の事について話す機会があまりないこと、日本についてセネガルの人が

あまり知らないこと、幅広い異文化交流、たくさんの村にいつも行くことは不可能だけど、

村人はテレビがないところではよくラジオを聞いているので、

多くの人に聞いてもらえる可能性があること等いろいろありました。

友好親善や相互理解はJOCVの目的の1つでもあります。

そして私たちにとっても語学力アップにつながります。

何か日本紹介みたいなイベントをやるとなると多くの労力を使うし、

ラジオを使って小出しにしていく感じがいいんじゃないかという話でした。

今日その打ち合わせでラジオのディレクターと話していたところ、

ばっさり日本紹介は面白くない、私たちはそんなことが知りたいわけじゃないと言われてしまいました。

それよりも、なぜ体育や音楽が大切なのか、インタビューとかしてやってくれ

的なことを言われてしまいました。

うまく伝わらなかったかな、まあよくあることだよね。

継続的にラジオやるのはお互いに初めての試みだし、まあ少しずつ少しずつ。

人間関係構築がまず大切だしね!

普段なら、そんなことを言われても特に気にしませんが、何だか最近疲れていたのと

何となく気持ちが落ちていたときだったので、考え込んでしまいました。



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頼まれてセネガルに来たわけじゃない

頼まれてダーラに来たわけじゃない

頼まれて小学校で情操教育を教えているわけじゃない

頼まれてラジオをやるわけじゃない

私が来たくて来た場所

私がやりたくてやっていること

ああ、なんか大切なこと見落としていたかな

ニーズはどこにあるのだろうか

なぜボランティアって必要なのだろうか

私が役に立てることは何なのだろうか


先週、村に行くのに往復2時間半から3時間歩き、
途中でカメラで遊んでいました。
誰もいなさすぎて。笑