2014年1月8日水曜日

タリベの涙

Bonsoir!

ここダーラでは6日から学校が始まりました。

新年学校2日目。いつものように8時前に学校にいくと、授業が始まる8時には

校長先生と、教員1人しかいない。

・・・・・・・・???????なんで???

一緒に活動している先生も8時半くらいに来ました。

なんと今日から3日間ストライキとのこと。

まじか~。セネガルに来て初めてのストライキ。セネガル全土です。

でも全員じゃなくて、働いている先生もいます。

子どもは来ているのに、先生が来ていないから授業がない。

そのあと、子どもたちは勉強することなく帰っていきました。

その背中が何だか切ない・・・。

そして授業が終わり、学校を出ると、タリベの子どもたちがいました。

いつもよくいる光景。

タリベとは、道でお金や食べ物を乞う子どもたち。



でも物乞いとは違います。

セネガルにはマラブーと呼ばれる宗教指導者がいます。

タリベと呼ばれる子どもたちは、親元から離れ、マラブーの下でコーランを学んでいます。
(コーランはキリスト教でいう聖書)

でも、マラブーは食べ物や服は与えてくれないので、子どもたちが自力で探さなければいけません。

セネガルのテランガ(おもてなしの文化)だからこそ、生きていける部分もあると思います。

どこの家庭でも、食事中、もしくは食べ終わった後にタリベの子どもたちに

ご飯を分け与えています。タリベの子どもたちもその時間を見計らって

小さい容器とともにやってきます。

道をあるいていると、必ず手を出して「マイマジュローム」と言ってきます。

25フランちょうだいって意味です。(5円くらい)

いつもは私は名前を聞いて、その差し出された手に握手をして、笑顔でまたねって言います。

たいていのタリベの子どもは、これで終わります。彼らも笑ってまたねって言ってくれます。

でも、今日の1人のタリベは違いました。

私が学校を出て、家までの道で1人のタリベの子どもが何も言わず手を差し出してきました。

私は「お金ないよ」って言いました。それでもついてくるので、名前を聞いていつものように握手をしました。またねって。

でもその子はどこまででもついてきます。

本当にどこまでも。

私はたくさんの人と挨拶をして、出来るだけ時間をかけて帰るようにしました。

その子が諦めて帰るのを期待していました。

でもその子はどこまででもついてきます。



そして家の近くについて「私、帰るよ」っていうと

手を私に押し付けたまま、泣き始めました。

何があったのか。

何を聞いても、答えません。

泣き続けます。手を差し出して、お金をくれというように。

「お金はあげられないよ。」と何度もいう私。

それでも、どこにも行きません。

完全に困った。近所のセネガル人にヘルプを求めても、

なんで泣いているんだ!!何が欲しいんだ!!金か?というように威圧感たっぷり。

その時近所のおばちゃんがご飯に呼んでくれたので、行くことに。

その子が諦めて帰ることを期待して。

しかし、ついてくる。食べ物が欲しいの?ときいても首を横に振る。

食べ終わって帰ろうとしても、通してくれない。

「Su fekee doo wax dara, man menuma degg. Su fekee dagaay begg, waxal. Loo begg?」
もし何も話さないなら、私は何もわからないよ。何か欲しいなら、話して。何が欲しいの?

と。少し酷なような気がしましたが、聞きました。

すると「Xaris la begg」「お金が欲しい」

と本当に小さな声で言いました。

「Man munuma jox la xaris bi」「お金はあげれないよ」

というとまた泣き出します。その代り食べ物をあげました。

でもいらないといいます。お金が欲しい。それしか言いません。

そして帰りたくても通してくれない。泣きながら手を押し付けてきます。



お金をあげても、状況がかわるわけではない。そして他のタリベの子どもたちにはあげれないのに

この子だけにあげるには抵抗がありました。でも、きっと家の前にまでついてくるだろう

この子どもを家の前で締め出すこともできませんでした。

7歳くらいのボロボロの服を着て、何かを訴えるように泣いて、お金をせがんできます。

1時間くらいこんな状態でした。かなり葛藤がありましたが、25フラン(5円くらい)あげました。

これで本当に帰るのかと半信半疑で。

すると割とあっさり帰っていきました。

1時間の格闘の末、彼が勝ち取ったのは25フラン。

欲しいものは服でもお菓子でも、お昼ご飯でもなく、お金でした。

よく背景は知らないけれど、その子にとって25フランにどれだけの価値があったのか。

そしてどんな未来が彼らには待ってるのだろうか、そんなことを考えた日でした。

どんな対応がよかったのか、今でもわかりません。

そしてそんな状態の子どもを写真にとるんなんて薄情に思えましたが

伝えるべき事実だと感じ、写真におさめました。






2 件のコメント:

  1. 彼の写真を撮るときの心情察します。それを実行できるのは使命感の強さだと思います。その写真から他人に伝わるものは決して小さくないです。これからも葛藤の中の写真を撮り続けて下さい。いつもブログ楽しみにしてます。

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  2. ほりすけさん
    ありがとうございます。ほりすけさんの言葉に救われます。ブログ、何か伝わるように、楽しみながら書いていこうと思います^^帰国したら会いましょう!!カレッジリングのみんなにもよろしくお伝えください^^

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