先日、3か月と短い間でしたが、とてもお世話に調整員の方が帰国されるということで
リンゲールにてジョロフチーム(ダーラ&リンゲール隊)で送別会をしました。
こうしてお世話になった人が1人1人と去っていくと、寂しいですね。
任地についてもうすぐ3か月が経とうとしています。早いですね。
新隊員もついて、先輩隊員になったわけです。まだ会ったことなにので実感はないですが。
最初のころと、明らかに変わってきている感覚があります。
それは、セネガルが「低所得国」であるという体感覚。
最初セネガルに来た時、ダカールというのもあり、かなり発展していることに驚きました。
その後語学研修のティエス、そしてここダーラ。
「途上国」と呼ばれる国に行くことは初めてじゃなかったので、たいして驚くことはなかった気がします。
むしろそうか~そんな文化なんだ~。と楽しんでいた気がします。
最初は、全然セネガルが途上国なんていう印象は持ちませんでした。
テランガという文化もあり、何かしら食べ物は分けてくれるし、市場は活気があるし、
学校はあって勉強してるし、女性は服やアクセサリーでおしゃれを楽しんでいるし。
私にとっては、単に「異文化」でした。こういうものなのだと、なんだかストンと受け入れてました。
でも、ここに3か月ほど住み、ダーラの人々と話して、交友関係をもって、一緒に時間を共有すればするほど、
彼らの背後にある境遇に驚くことがあります。
同じ23歳のセネガル人の友達が、家族の中で自分1人だけが働き手だから、両親や兄弟のために働いてたり、
お父さんやお母さんが別の場所に住んでいて、子どもだけ親せきの家に住むことなんて普通だったり、(小学校や中学校に通うために)
離婚して、子ども2人を村の親せきに預けて、自分は住み込みでお手伝いさんとして働いていたり(病院にいくお金はないので、いつもお腹や頭が痛いと薬頂戴と言ってきます。)
いつもバナナを売っている仲良しなおじちゃんが、実は出稼ぎでギニアから来ていたり、
(他にもレバノンやモーリタニア人もよく見る。)
たまたまブティックで話していたセネガル人が、出稼ぎで家族をセネガルに残してイタリアで働いている人だったり
いろんな人に会うわけです。
いろんな境遇があって、最初は全然「途上国」なんて思っていなかったセネガルですが、
話を聞くうちに、彼らはこうしたいけれど、現実では出来ない事情や環境が多くあって
国としては、まだまだ発展途上にある国なんだな、ということを肌で感じます。
それがいいとか、悪いとかじゃなく、そういう厳しい状況が目の前にあるという事実は伝えたいです。
それでも、セネガル人に対して、これを伝えたいんだ!とか、これは大切だから、こうしたいんだ!とか、この指導法の方がいいよ!
というような想いは、私は言いたくありません。
セネガルをというと大きく聞こえてしまいますが、セネガルの未来を作っていくのは
他ならぬセネガル人だと強く感じます。その中心は常に彼らであって欲しい。
一緒に悩んだり、一緒に解決法を探したり、何かを提案したり、横をつなげたり、
助け船を出したりは出来るかもしれませんが、常に中心は彼らであるということを大切に
これからも活動を続けていきたいです。
そしてこんな偉そうなことを思いながら、その逆もしかりで
日本を(中心になって)作っていくのは、他ならぬ日本人なんだよなあ~とか思いながら。
そして思っていても、私何も出来てないじゃん~とか思いながら。
・・・・・大きなことばかり考えても何もうまれないので、目の前のことを必死に頑張ります!
図工の授業で紙を折って切って花を作るのを見せたら、
「え~!!すごーい!」という瞬間の写真。
頑張って折っています。
先輩隊員が飼っているヤギのえみちゃん。かわいすぎる。
泣きそうになるくらい綺麗な夕日でした。最高の1枚。
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