2014年8月21日木曜日

ピレネーの黄色い電車~スペインからフランスへ

オラ!ボンジュール!

ただいまフランスに来ております。そんな数日前の16日。

夜中の便でダカールを出発し、昼にスペインのバルセロナへ。

そしてローカル電車でLatour de Carolという小さい村へ行きました。

目的は「ピレネーの黄色い電車」。Le pitet train jauneといいます。

ピレネー山脈を3時間かけて横断します。眺めが最高。

そして、この旅は最高に運が見方してくれました。

朝早い時間の黄色い電車に乗るために、前日は、その始発の村(Latour de Carol)に泊まったのですが

その村では、その日、たまたま村のお祭りをやっていて、素敵な音楽と素敵な文化を

堪能できました。ホテルが意外に駅から遠くて、来る人来る人に道を聞いていたら

2人目に聞いたフランス人のおばさまがいい人で、ホテルまで駅から道を案内しながら

車で送ってくれました。

次の日、8時半初の黄色い電車!と意気込んで行ったのに、駅に行ってみると

急遽電車ではなく、バスになったと。え~!!と思いながらも

仕方ないか~と諦めてたところ、8時20分くらいに急遽電車で行けることに!

よくシステムがわからないけど、とりあえずよかった!!!神様ありがとう!!

と感謝して3時間贅沢な時間を過ごしました。それでも4000円ちょいです。

この絶景!!あ、でもいつ国境を超えたのかはわからなかった(笑)






そしてVellefranche-Vernet-les-bainesという長い名前の駅が終点で

そこから電車を乗り継ぎ、南フランスのモンペリエへ。

2週間はモンペリエに滞在します。

毎日多国籍に溢れた中、楽しく生活しています。

日本を出国してもう少しで1年が経ちますが、この1年で経験したこと

見たこと、感じたことは、本当に大きいと感じています。

最近感じることは「みんな一緒」だということ。

アフリカに行く前、「アフリカ」を一括りにして言っている部分がありました。

アフリカに行って、住んでみて、54の多様な国で構成されていること

そして同じ国の中でも違う民族がいて、多様なことを感じました。

同じアフリカ人でも、全く違います。そして民族や言葉、文化で分けれるものではない。

そしてフランスに来る前、何となく「ヨーロッパ」とか「白人」(差別になってしまうかな)

を一括りにしていた自分がいました。

でもモンペリエに住んでみて、色んな国から来ている「白人」の人たちと仲良くなって

これまた多様な国で構成されていることを感じました。

肌の色が同じような感じでも、言葉も文化も習慣も違う。ものすごく多様性に溢れていて

「ヨーロッパ」と一括りには出来ないと感じました。

これって聞くと当たり前のことだと思いますが、肌感覚で感じることって

また違うと思います。自分の友達を通して実感できる「違い」。

そしてどこの国の友達も、「同じ人間」だと最近実感します。

好きな人がいたり、おしゃれしたかったり、勉強したかったり、

欲しいものがあったり・・・。

色々ありますが、どこの国が良くて、どこの国が悪いとかじゃなく

あの国の人に憧れるとか、あの国の人嫌いとかじゃなく

見た目が違っても、どこに暮らしていても、「みんな同じ人間」。

そんなことを感じて思うことは、どこの国から来たとか、どんな肌の色とかとかではなく

「1人の人間」として、その人の中身を見ていきたいなということです。

さて、あと1年残っていて、帰国前にはどんな答えにたどり着いているのか、楽しみです。


 運よく参加できた村でのお祭り



モンペリエ中心街のコメディ広場


夜はこんな素敵なライトアプがそこら中に。


2014年8月13日水曜日

エボラ出血熱~何が本当の情報?~

Bonjour

西アフリカでは最近エボラの猛威がすごいです。

3月にギニアで発症者が確認されてから、新たな情報ははいってこなかったけれど

最近になって、感染が国境をまたいで広がって、

ギニア
シエラレオネ
リベリア

の3国のJICA関係者は退避。

日本でも毎日ニュースになっているようですね。

セネガルはギニア国境に面していますが、3月に発症が確認されてすぐに国境をふさぎ

今のところ感染は見られていません。

なぜ感染が止まらないのか。

単に医療レベルが低いからという話だけで終わるのか。

それだけじゃない、と思います。

リベリアの国連で働いている方の記事を見つけたので

載せたいと思います。

長いですが、現場の目線から

そして自分も同じ西アフリカにいて、彼らの生活の仕方や

大切にしている価値観を考えても、医療レベルどうとかいう話より

断然納得できる話です。

以下引用。

日本語メディアだと情報が少なさそうなので、以下、エボラの感染拡大がなぜ止まらないのか不思議に思っていて、かつお時間のある方向けに、現場目線の情報をざっくりと書いてみます。

1.まず発端になったギニアの森林地方が首都から遠い未開の地で、保健所も少ないので、そもそも患者が出ても医療機関が察知するまで時間がかかった。

2.更に元々政府への信頼がないために「患者を病院に連れて行って隔離しましょう」と政府が呼びかけても「死体から臓器を取るための陰謀だ」「国際社会からの金を着服したいだけで、エボラなんか嘘だ」と言って従わない村の首長が多く、医療従事者が感染地域に立ち入りすらできなかった。(いまだに医療従事者が襲われるケースが出ています)

3.リベリア・シエラレオネはギニアからの農産物(パーム油、トマト、玉ねぎ、etc)に依存しているため国境を閉じることはできず、また公式に閉めたところで国境にフェンスがあるわけでもないので、人の移動を管理するのはやはり無理で、案の定リベリア・シエラレオネにも拡大。

4.また、現場の医療関係者がうっかり「エボラは"かかると治らない"恐ろしい病気だから隔離させてください」などと言ってしまい(正しくは"確実な治療法がない"病気)、患者は「どうせ助からないなら、家で家族に看取られたい」または「病院に行ったらエボラだと言われて二度と病院から出られなくなる」などと言ってなかなか病院に来ない。

5.治療に応じてみても、致死率が高いため、患者の家族からしてみれば、「病院に送ったら死体になって帰ってくる」、という印象で、医療システムへの信頼が低下。末期症状の患者(非常に感染しやすい状態)を病院から無理やり連れて帰り、家庭での伝統療法を選択する人が相次ぐ。

6.エボラと思しき症状で亡くなった場合も、エボラだと分かるとみんな迷惑するので、犠牲者の家族としては「エボラだったのかも」とはなかなか言い出せず、通常通りの葬儀が行われる。当地の葬儀は盛大なパーティで、大勢の参列者が遺体に触り、キスする。すでに初期症状が出ている犠牲者の家族とも触れ合う。こうしてどんどん広がる。

7.また、マラリアやデング熱などエボラの初期症状と似ている病気にかかった人も、「病院に行ったらエボラだと言われて二度と病院から出られなくなるから病院には行かない」という理由で、病院に行かず、それらエボラ以外の病気で死んでしまう。こういう紛らわしいケースも含めて首都でしかできていないウィルス検査をする必要があり、ウィルス検査が全然追いつかず、死因が特定できない人が大量に発生。疑惑のあるケースも含めて感染した可能性がある人を21日間経過観察する必要があるものの、ギニア・シエラレオネ・リベリアみたいな最貧国の行政機関にはそのようなキャパシティはなく、感染した可能性がある人が野放しになる。

8.医療従事者は給料も能力も低く、身の危険を顧みずに働くのがやってられずに職務放棄する人も続出。患者が運ばれてきても器具・資材・人材が不足し、対応できない状況が続き、それなら、とやはり患者は病院に来なくなる。
DRCでなぜ感染拡大を止めることができたのかがむしろ不思議に思えてしまいます。交通の便が悪すぎたからだったりして。

UNリベリア職員の方から引用。

デマも多く流れているようですが
今後、世界保健機関(WHO)や国境なき医師団等の団体が
資金不足にだろうという話が出ています。

遠い国の話、ではなく
祈るだけ、ではなく

何か出来るように
うまく情報が回ってほしいです。

2014年8月3日日曜日

本物の世界はどっち?

今私たち人間が生きている世界は本物の世界ではない。

パラダイス(楽園)こそが、本物の世界なんだ。

この世での行いによって、死後楽園に行けるのか地獄に行くのかが決まる。

ーパラダイスには何があるの?

パラダイスには君が望むものが全てある。年もとらない。ほしいものが全てそこにある。

苦しみもない。貧しさもない。死もない。それこそが本物の世界だ。

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宗教の話になると、どうしてもわかりあえない。

頭では理解できても、よくわからない。

彼らにとって、この世は、死後楽園にいくために試練を乗り越える場所であり

アッラーの預言者であるモハメットの言葉を生きる規範としている。

(この言葉、つまりコーランはイスラム教が誕生した1400年から、一文字も変わっていないらしい。)

わかるけど、でもじゃあどこから、社会をよりよくしていこうという気は生まれてくるのあろうか。

それらは、アッラーが与えた試練だと解釈して、よりよい明日を創ろうとしているのだろうか。

行動の意思決定の仕方が、あまりにも違いすぎて、宗教はなかなか感覚的につかむことが

難しい。

いつも、議論しても最終的には「宗教は人間がよりよく生きるために存在するから、

より良く生きれるのであれば、何宗教でもいいんじゃないか。」というとたいてい納得してくれる。

そうじゃなくて、絶対イスラムがいいから、イスラム教になれ!!という人もいるが。

そうそう、この間終わった断食。

なぜイスラム教徒は断食をするのだろうか?

「断食、ラマダーン月は、ムスリムにとって特別な月である。アッラー(神)がムハンマドを

預言者に召命し、クルアーン(イスラム教の聖典、コーラン)の最初の啓示を下した月だからだ。」

「精神と肉体の修養の時、愛と平和と和解を広めるために特別な努力をするとき」

「断食は単に物を食べないでいるということではない。誤った生き方、暴力、貪欲さ、欲望

怒りや悪意を捨て去ること。」

「断食の目的は人々を苦しめることにあるのではない。貧しい人々に共感する気持ちを持てるよう

わずかの間貧者の苦しみを体験することにある。」

ーイスラームを知る32章 ルカイヤ・ワリス・マクスウドー より

深いですな。

でも、そう考えれば、仏教だって、仏陀の言葉(教え)を信じる者?なわけだからなあ。

仏陀は神じゃなくて人だっていうのが大きな違いかなあ。

物事を深く考えれば考えるほど、また色んな考え方や立場を知れば知るほど、

正しいものなんて言うのはなくて、何かの宗教を信じているという事は

そこに、本当に迷った時に自分を導いてくれる正義?

道導べがあるっていうことなのかなあ。と。

道徳的な役割を果たしているよね。

宗教の話を彼らとすると、いつも突き刺さる「どう生きるのか」という

根本的な答えの出ない問い。

自分の考えや根本となっている価値観のルーツは何だ?と考えた時に

仏教や神道が思い浮かぶ。

自分のルーツ、日本のルーツ、もっと勉強してみたいと最近思う。

そしてかなり遅くなりましたが、6月末にブルキナ隊と行った、バオバブアドベンチャーの写真!

まさにアドベンチャーだった(笑)普通に怖い(笑)楽しいけど、大きなバオバブの上でゆらゆら

する吊り橋は、脚が震えました。。。


ロッククライミングならぬ、バオバブクライミング!


やりたくなるターザンポーズ with ブルキナ隊のryo君


素敵な写真!友達が飛んでいます。


私も飛びました。