2014年12月30日火曜日

年末イベントその2 マラソン大会!

年末イベント2!ということで

サンルイから帰ってきた次の日にカフリンへ移動。

カフリンは任地ダーラよりも南に位置する、車で4時間くらいの所にある町。

そこで、「カフリン・ビルキランマラソン」が開催されました。

主催は1月に帰国されるカフリン隊員とその隣町のビルキラン隊員。

この2つの町がおよそ21キロ離れており、ビルキランからスタートして

カフリンまで走ろう!というもの。そして夜にはその先輩隊員の送別会。

私もアフリカの大地を走りたい!という気持ちと先輩隊員に挨拶をしたいという

気持ちがあったので参加。

途中の村までの11キロを目標に走りました。

練習を全くしていなかったので、きついきつい。(笑)

若干の起伏がまたきつく、こんなに足って上がらなくなるものかというくらい

石のようでした。

何とか11キロ完走。1時間25分かかりました。

21キロ完走した人たちは本当にすごい!!

何もない場所を走る、通りがかりのセネガル人は

頑張れ~とか、トラックのクラクションでププッとか鳴らしてくれる。

村についたときの子どもたちの声援は面白く可愛かった。

いや~いい思い出になりました。

走り終わった直後からみんな足がいたくて、歩き方がひょこひょこ。

私も普通に歩けません。(笑)

それから先輩隊員の送別会。サプライズで羊が登場!

さばいて、から揚げや生姜焼き、焼き肉にしておいしく食べました。

最後には先輩隊員へのサプライズムービーも。

2年間の軌跡は大きな財産。

すごく頑張っていた先輩隊員だけに、2年間の活動を終えた今の先輩の背中が大きく、

そして私たちより少し先をいっているような、寂しくも、嬉しくも、いろいろな気持ちが混ざっていました。

3か月に一度新旧隊員が入れ替わり、出会いと別れが3か月ごとにやってくる。

自分の帰国が近づけば近づくほど、セネガルで同じ時間をすごした仲間が

帰国していく。

終わりは始まり

別れは出会い

同じものを目指す「同志」として

残された時間、精いっぱい頑張ろうと感じた日でもありました。


出発前。走ったメンバー!


走る前にはちゃんとラジオ体操!



遠くにいる白い服の人が私(笑)



ゴールの瞬間!


最後には賞状までも!気の利いた企画に脱帽!


年末イベントその1 慰安旅行サンルイ

Bonsoir!

学校がクリスマス休みに入りました。

セネガルは95%がイスラム教ですが、5%はキリスト教なので

両宗教の休みをとります。

23日から3泊4日でサン・ルイというセネガルの観光地に

7人で慰安旅行。というのも1月に帰国予定の先輩隊員が「サンルイ稲作ツアー」を

企画してくれて、それに参加してきました。

セネガル北部、モーリタニアと国境を接する「セネガル川」。その流域に大規模な灌漑農業の

プロジェが5年間にわたり、入っていました。

その稲作の見学が主な目的。レンタカーにガイドまでついて、何も知識がない私も

とても勉強になりました。セネガルでは毎回昼食に米を食べますが、その7割が輸入米

という事実は初めて知りました。主にインドやタイからくず米が輸入されているよう。

他にも灌漑農業をするために、水を引っ張ってくる工事をしている場所も。

ガイドさんいわく、特にここ2年間の変化は大きいと。日本や中国、アメリカ、フランス、色々な

援助機関が入っているようです。

それからユネスコに指定されている自然公園「鳥公園」に行ってきました。

ほぼペリカンだったけれど(笑)、他の渡り鳥もいて渡り鳥がセネガルにくるんだなあ、と

また1つ世界が広がった感じでした。

ゆっくりした時間を、気の許せる仲間と過ごし、おいしい物をたくさん食べ

たくさん話した時間は、とても楽しく早く過ぎていきました。

企画してくださって先輩隊員、受け入れてくれたサンルイの隊員に感謝です。


全部米です。(そしてサンルイは海沿いなので寒い)


青の服の方がガイドさん(プロジェで働いていたセネ人)
右の方が農家の方


みんなでお料理!おいしかった!


鳥公園ペリカンが飛ぶ


全部ペリカン。
ここで子どもを産んで育てて3か月くらい滞在するみたい。


クリスマスディナー!バックはサンルイ橋。

2014年12月20日土曜日

教育スペシャル週間!ンベッティ村での活動

Bonjour!

セネガルは朝晩かなり冷える季節になりました。(20度くらい)

そしてハルマッタンの影響で、砂が凄い俟っていて、常に曇っています。

今週月曜から金曜日まで、ある村で「教育スペシャル週間」と銘打ち、活動していました。

その村はダーラから約4キロ、5キロ、シャレット(馬車)で30分弱、歩いて1時間弱の場所に位置していて

約200人弱の住民がいるンベッティ村。民族はプラール族(遊牧民)。

今年3年目になる村の小学校には2,3年生の子ども40人と1人の教員。

活動内容は、毎日休み時間後の11時半から14時まで、毎日音楽・体育・図工を行うというもの。

基本的に、私は市内で活動しているので、なかなか村に足を運びません。

また、市内だと1つの小学校に12~14クラスあるので、1日頑張って6クラス授業出来ます。

村だと行くのに時間がかかり、尚且つ出来て1,2クラスくらい。(もちろん村による)

もともと市内を中心に巡回するための要請内容なので、バイクもなし。

昨年は定期的に行くことに挑戦してみましたしたが、やはり体力的にも時間的にも

効率的にもよくなかった。ということで、今年は短期集中!効率的にかつ効果的に先生にも子どもにも

出来ることないかなと思い企画した経緯です。

1週間、ハプニングだらけ、予定通りには何も進まない、先生との口論、住民と学校の近さ

いろいろ学びました。感想一言「疲れた~」(笑)

新しい事を行うには、本当に体力がいりました。けど、やってよかった。

市内と村で一番違うなと思ったことを1つだけ。

それは「学校と住民の近さ」でした。

どういうことかというと、小さい村なので、みんな知り合い。子ども同士も朝から晩まで1つの村で

一緒にいるわけです。先生はこの村の人じゃないけれど、何だかこう学校のクラスでも

みんな家族みたいなのです。

学校に塀はないので、体育をやっていたら、お母さんたちやお父さんたちは出てきて

一緒に応援したり、どっかの知らないおじちゃんが授業を手伝ってくれたり

授業が終わったら、保護者の人たちがご飯食べてけ!となり

ご飯とお茶をして夕方までおしべりしたり。

先生は1人しかいないので、1人では出来ることは限られています。

だからこそ、保護者の力が必要で、親が教育に関わる。

ダーラは3万人が住んでいるので、全員が顔見知りなわけではなく、

小学校でも先生の数が多いので、先生たちだけで何とか出来てしまう。

そういう意味では、村は、本当に大家族みたいだなあという印象を受けました。

さて、報告書書き始めます。

この1週間手伝ってくれた同期ダーラの森村隊員に感謝です!


体育!1日目。説明をする先生


体育4日目!


2日目音楽の授業様子


体育を行っていると応援にきてくれた保護者たち


5日目図工。セネガル服!壁にそのまま貼りました。(笑)ノリは小麦粉ノリを使用



5日目。すべて終了し、子どもたちへ鉛筆をプレゼント。


3日目図工。新聞紙を使ってコラージュ。


最後にみんなで記念写真!


おまけ。ヤギの子どもがかわいすぎる

2014年12月14日日曜日

家族の定義が広いワケ~一家族30人は当たり前~

Bonsoir

今日の晩、友達の家にいてディスカッションしていた時

友人の叔父だという人が家に来て

ものすごい勢いで絡んできた。

そしてかなり酒臭かった。

その絡み方は悪酔いとでもいうように、気持ちのいいものではなかった。

ましてや、イスラム教でお酒は禁止されている。

かなりめんどくさかったので適当にあしらっていたが、仲いい友人の叔父だと言うから

あしらうにも、かなり無下には出来ない。

友人を見て助けを求めるが、何も言わない。(このことに私は少し腹立った。)

後でその酔っ払いが違う人の所にいったのだが、なんてセネガル人は優しいのだ!と感じた。

ちゃんと無視しないで相手してあげているのだ。(笑)

そこで、友人にセネガル人は優しいね。日本だったら、どうしようもないような人間にもっと冷たいよ。

と言った。

その叔父という人は、働いてもなければ、禁止されているお酒を飲み、酔っ払い

タバコまで片手に吸っているのだ。(そして絡んでくる)

そんな私に、友人はこう説明した。そしてなぜセネガルは家族の定義がこんなにも広いのか

少しだけわかったような気がした。

友人は私にこう言った。

「例えば道に知らない人がいて、助けが必要だとする。

例えその人が知らない人でも、こう思う。もしかしたら、彼の親やその親

家族や親せきの大人に、僕が知っている人がいるかもしれない。

そうであれば、この人は兄弟になる。助けが必要ならば、助けない理由はない。」

またこうも言った。

「例えば、◎◎という村に知り合いがいる。そこの家では、僕は好きな時に寝れるし

好きな服を着れるし、好きな時にシャワーを浴びれる。隣町にも家族がいる。

そこでも僕は好きな時に好きなことが出来る。1年くらいいても誰も何も言わない。

例えば今この目の前で、君がここで寝ても誰も何も言わない。だって君は僕の友人だから。」

彼らからしたら、自分より年上の人たちは敬うべき存在で、

どこかでその年上の人たちと繋がっている自分の周り、もしくはまだ会ったこともないような人にですら

家族の一員だと言う感情を馳せるようだ。

「友人が痛みを感じれば、僕も痛みを感じる。」

私は、そのめんどくさい酔っ払いを、外に出すべきだよ

とか言っていたのだが、友人の家族の人たちの優しさに感動すら覚えた。

仕事もしないで、禁止されているお酒を飲み、たばこを吸う(そのお金はどこから?とも思うが。)

日本では相手にされないだろうと思う

冷ややかな目で見る人が大多数ではないだろうか。

けれど、この国では、そういう事で人の価値を測らない

お祈りの時のように、神の前では、大統領も教師も家政婦も子どももフリーターも

みんな一緒なのだろう。

建前もあるのだろうけれど、彼らは本当に家族のようによくしてくれる。

そこに日本での生きにくさと、この国での生きやすさがあるのかなと感じた

一長一短で、何かを得れば何かを失う

セネガル人が「セネガルはいいぜ!」という理由は、大部分はここにある気がする

ただ、働いて家族や周りの働いていない人たちを助けている(養っている)人たちからは

「1人で10人も養わないといけないんだよ」とか

「セネガル人は働かない」とかいう事もしばしば聞く。

国の発展という意味では、障害になる部分でもあるのだろうし

働いている人たちからすれば、いい気持ちにはならないことだろうと思う。

友人は一例にすぎないかもしれないけれど

でも根底には、友人が説明してくれた考え方が伝統的に残っているんだろうなと感じた日でした。


友人の家には多くの人が出入りする(私はもはや血縁関係がよくわからない笑)

2014年12月11日木曜日

移動の2週間~健康診断やら試験やら~

Bonjour!


11月はたくさん書いていたのに、12月は初更新。

12月に入ってから移動が多い日々を送っていました。

そしてがっつり風邪もひきました。季節の変わり目はどこでも風邪を引きやすいですね。

12月頭には3日間の1年次健康診断。幸いお腹に虫はおらず、大した異常もなく

一安心。ちなみに同期10人中4人がお腹にアメーバを飼っていて

虫下しを処方されていました(笑)水や生野菜に気を付けないといけないですね。

それから、1月に帰国される先輩隊員が先週金曜にダーラに遊びに来てくれました。

遠いところ嬉しかったです。

そして今週はフランス語の試験、通称DELF(デルフ)を受けてきました。

この試験、レベルは6つあり、一番下がA1一番上がC2となっています。

派遣される前の語学訓練で、大体A2くらいの能力があると言われています。

B2レベルは「DELF B2レベルでは、使用者はさらに自立の度合いを増、自分の意見を主張するために筋道の通った議論の流れを作ることができ、自分の見解を展開し、交渉することができます。このレベルの受験者は、社交的な談話の中で流暢に会話を交わし、自分の間違いを自分で修正することができるようになっています。

引用:http://www.delfdalf.jp/b2/b2_jp.htm

10回ほど、知り合いの先生に試験対策をしてもらっていましたが

リスニングで撃沈。。。結果はどうでしょう。。。

今ある力は出し切れたかなと思うので、まあよかったです。

開催された場所サンルイは、セネガルの観光地なので

少し買い物して帰ってきました。

さて、来週は村で1週間活動です。

「情操教育週間」と題して、子どもと村の先生と色々アクティビティーを企画。

どうなるかな~という気持ちもありますが、ワクワク!

ひとまず風邪を治さないと。

フランス語の先生。活動先の学校では同僚。友達価格でマンツーマン授業をしてくれた。


来週活動予定の村の小学校の先生の家族。コリテ等、行事の時にもお世話になっている家族。
打ち合わせで家を訪ねた時の写真。この日も晩御飯を食べて帰った。


お母さんに怒られて泣いた後の顔が何ともいい(笑)


健康診断時、隊員ドミトリーを整理整頓・掃除するのが恒例。
35年間にわたって派遣されて来たセネガル隊のドミはすごい本の量。
ほぼ半日係で手分けして家じゅう綺麗になりました!


首都ダカールに上京時、韓国ボランティアが「韓国フェスティバル」を大学で開催。
参加してきました。
セネガルで  初めて着た  チマチョゴリ

2014年11月28日金曜日

勉強会開催!少しの自信~伝えないと伝わらない~

Bonsoir!

今日は特別な日でした。以前から企画していた図工勉強会。

ある小学校の先生対象に行いました。

テーマは「図工の楽しさを経験しよう!」です。

16人中12人の先生が参加してくれました。

夕方5時から7時前までの2時間弱。2日間はなぜか頭が冴えて

夜もよく寝れませんでした。緊張していたのかな。(笑)

内容は3グループに別れて、実際に造形活動をするというもの。

その前に昨年子どもと製作した作品の紹介(私)、図工授業の重要性(セネガル人の先生)を

行い、グループ活動に移りました。作品制作時は、笑い声や、真剣な顔つきが嬉しかったです。

それからグループ毎に作品を発表。どう作ったのかも発表し、他グループにも作り方を伝えます。

そして私が伝えたかったことを最後に。

図工の授業を行う時に大切な2つのこと、として伝えました。

1つ目は「子どもを褒めること」。図工の授業で大切なのは、正しい答えがないこと。

たくさんポジティブな言葉を使ってほしいと伝えました。

2つ目は「先生自身も楽しむこと」。今日作品制作時、たくさん笑い声が聞こえました。

それがすごく大事。先生自信も楽しんで。子どもたちは先生たちから何かを感じ取ります。

抽象的なことだし、伝わらなくても仕方ないかなと思っていましたが

思いのほか伝わったようで、多くの先生が真剣に聞いてくれ、うなずいてくれました。

ここから何かが変わるかはわかりません。もしかしたら何も変わらないかもしれない。

でも、人種が違っても、言葉が違っても、環境が違っても

心からの気持ちは伝わるんだと、今日感じました。

やっぱりそこは人対人です。

活動をしていて、日本人は、みな長期視点でみて活動計画を立てます。

長期的に続かなそうなこと、単発的なことは

「これが何になるの」と思う事はしょっちゅう。

でも、だからといってやらないよりは、絶対にやったほうがいい。

失敗から学ぶことは多い。そして今回みたいに、伝わらないかなあと思っていたことが

少しでも伝わったと感じれて、伝えても伝わらないかもしれないけれど

伝えないと伝わらないということを改めて感じました。

伝わっても伝わらなくても、伝えてみようとすることが大事なんだと。

怖がらないで、2年目、まだまだ挑戦できることに挑戦していこうと思います。

3週間後には村で1週間のスペシャル週間を村の先生と企画。

これもまたうまくいくかわからないけれど、やってみよう!

今日はセネガルに来て初めてすこーーーしの達成感と、すこーーーーしの自信を

得られたかなあという日でした。少し休んでまた出発。



図工の重要性を説明する先生。いつも協力してくれて本当に感謝です。


1,2年生の先生方のグループ。仮面を作っています。真剣!


作品発表場面。3,4年生の先生方には「切り絵」に挑戦してもらいました。


5,6年生の先生には幾何学デッサンに挑戦してもらいました。



昨日のキレイな夕日

2014年11月26日水曜日

バレーボール再開!

Bonsoir!

先週土曜の夜に食べた何かにあたったのか、2日間寝込んで今日から復活!

せっかくの日曜日はほぼ寝て過ごしました。(人ってこんなに寝れるのかというくらい寝た。)

さて、先週の金曜日から4か月ぶりにバレーボールが再開しました!

バカンス明けの10月からの予定だったんだけど、地元のアマチュアのサッカーの大きな試合があって

それが終わるまでは保留でした。(さすがサッカーの人気!)

昨年は子どもたちにも初めてのバレーでしたが、今年は2年目!

見慣れた顔が、どんどん増えてきて、しかもバレーを忘れていなくて嬉しい限りです!

昨年はゼロからのスタートだったのが

今年は1もしくは2からのスタート。

これが何年も続けば、子どもにとって大きな力になる。

今年は試合を開催することが目標とコーチと話しています。

私も毎日はいけないですが、行ける日は自分の健康のためにも行きたいと思います。

やっぱりスポーツは気持ちもスッキリするし、誰かとスポーツをするのは

気持ちいいですね!改めて実感。

去年は、バレーしていても、どこかからか「シノワー」(中国人)

と言われていたのが、今年はまだ言われていない。

そんなところに、2年目であることを感じます。

継続は力なり!

それを合言葉に!


夕方6時過ぎ!


お姉ちゃんがバレーしている間待っている妹!
いつもちょっかいかけてきます。でも恥ずかしがりや。


こんな空き地でバレーしています。

2014年11月17日月曜日

地方最大家畜市場ダラル

Bonsoir!

今日は日曜日。ダーラは毎週日曜日に「移動市」があります。

近辺の村や町からたくさん人が集まって来るので、すごい人です。

いつもより野菜も布もなんでもたくさんあります。

なかでも地方最大級の家畜市場。遊牧民プラール族が多いこのあたりの地域では

家畜売買が盛ん。

毎月やらせてもらっているダーララジオ放送で、この日曜日家畜市場レポートを

することになり、同任地隊員とその警備員さんと私の3人で行ってきました。

12時くらいに行くと、売買が盛んにおこなわれているよ、ということで

12時過ぎにシャレット(馬車)にのって、いざ!

さすがセネガル人の警備員シェハ。交渉が楽です。

牛を売っている場所と羊や山羊を売っている場所があるのですが

牛は角が危ないという事で、羊市場へ。

質問したのは、羊売り手、買い手、トラック運転手、シャレット運転手、水の売り子

昼ご飯の売り子、ヨーグルトの売り子、タイヤの売り子の8職。

断る人もいましたが、基本的には協力的で2時間で終了。

羊は交渉次第ですが小さいの2万F(4000円くらい)から5万F(1万円くらい)まで

様々。結婚式や子どもの命名式等があれば羊を買っていきますが、

ダーラで買って、地方でさらに売りさばくと言うビジネスをしているセネガル人が

多い印象でした。インタビューした羊を買ってた人2人とも、

他の地方で売るという事でした。

トラックの運転手いわく、羊や山羊、牛は首都ダカール、南部のカザマンス地方、

ガンビアやギニアにまで運ばれるとのこと。

水やヨーグルトは大体10円か20円で買えます。

昼ご飯は100円。セネガル人にとっても羊や牛、ヤギを買うのが

いかに高い事かわかると思います。肉は贅沢品。

もっと現地語やらないと、深くコミュニケーションとれないなあと感じもしました。

用意している質問+アルファで会話できると、かなり楽しいのになあと。

プラール族が多いので、プラール後もぼちぼちやろう。


羊とヤギ市場


気前よくなんでも答えてくれた!右は同任地隊員


たまたま羊の出産が足元で!!


牛市場


ダーラの家畜市場で買われた羊(屋根上)と鶏たち。


笑顔がステキなヨーグルトの売り子おばさまにインタビュー!

2014年11月12日水曜日

フランス語教育

Bonjour!

学校が始まって、約1か月。早いものですね。少しずつ流れが出来てきた気がします。

昨年言っていた学校だけに、1年前よりは、やりやすい。

なかなかゴールが見えにくいのが悩むところです。

さて、学校で先生ともよく話題になるし、ボランティア自身も大変な思いをしている

フランス語。1960年の独立まで、約4世紀にもわたって植民地支配をしていた

フランスの影響ですが、他のフランス語圏アフリカ諸国よりも、現地語が強いのがセネガルの特徴。

約半数を占めるウォロフ族の言葉ウォロフ語を多くの人が話します。

ウォロフ族に続き、プラール族、セレール族が続きます。

なので、3か国語等を話せる人はザラ。同僚の先生は8か国語話せます。

しかし、子どもにとっては言語が大きな壁。1年生からフランス語の授業があり、他の教科も

全てフランス語で習います。もちろん高学年にあがるにつれて、現地語での説明は

少なくなっていきます。彼らにとってフランス語はいくら公用語と言っても外国語。

ある先生の解釈では、フランス語は、テストや文書を書くための言語だと言っていました。

テストはフランス語で行われます。教員や銀行、市役所、国営の仕事(水や電気等)

憲兵隊、警察等の仕事ではフランス語が話せないとなれませんが、

農家さんやブティック経営、朝食屋さんやレストラン経営には

フランス語は話さないし、どっちみち、どんな場所でもセネガル人同士は大抵ウォロフ語です。

フランス語が出来たら、確かにいい職につける可能性はかなり広がる。

また他のある先生曰く、私が「それならウォロフ語を公用語にしてしまえばいいのでは?」

というと、「いや、そうしたら他の民族もいるから、問題になる。そしてフランス語が話せると

他のフランス語圏のアフリカ諸国の人とも話が出来るんだ。」と言っていました。

ただフランス語が大きな壁になっていることは子どもにとっては間違いなし。

どれだけ算数が得意でも、理科や歴史が得意でも、フランス語でつまづけば

厳しいのが現状です。

出来る子どもで授業が進んで行ってしまう。

昔とは違い、子どもの生まれに関わらず、子どもに平等に機会を与えられるのが

教育の1つの役割かもしれないですが、

ふと市場を見渡した時、フランス語が出来なくても

生きては行けるのになあと、思う事があります。


2014年11月9日日曜日

1年報告会&同期旅行~その他思う事~

Bonsoir!

ブルキナではクーデター後、まだ色々あるようですが

とりあえずコンパオレ大統領がやめてくれてよかったですね。

そしてブルキナ隊の方々が国外退避にならなくてよかった。

さて、セネガルは一度もクーデターを経験したことがなく、いたって平和。

エボラ感染者が発表された時には、帰国の可能性も少しは考えていましたが

セネガルは収束宣言がされてよかったです。

フランス・ラジオ・インターナショナルやイギリスBBCでは

マリでエボラ感染者が出た時も

ブルキナでクーデターがあった時も、トップニュースになっていました。

日本ではほとんど報道されていません。

セネガルに来て、エボラの事や他の事件に関して

関心が薄いなあと感じることが多いです。

(ギニアで初めての感染者が報告されたのが2013年12月。WHOが緊急事態宣言をしたのが

2014年8月。ここらへんから世界各国でものすごい報道が始まった。)

こういう私もアフリカに来る前までは、他人事だったのですが。

あまり関わりがない日本とアフリカ諸国。(貿易等は関係あっても、直接人同士のつながりは薄い)

関心を持ち、身近に感じることは、やはりなかなか難しいのでしょうか。

今はここに住み、友達もたくさん出来たことで、身近に感じられているということは

十分にあります。

さて、先週首都ダカールにて1年報告会があり、1年間どういう活動をし、今後

どういう活動をしていくか報告しました。

パワーポイントどっかに載せられるのかな?

その後1泊2日で同期旅行。

たくさんマングローブがある場所に行き、セネガルの違う一面を見れて

楽しかった。まだまだ知らないことだらけ。

同期もみんな新しいセネガル服を新調していて綺麗だったなあ!

1年間で、顔つきとか変わっているのかな?^^

今年も残すところ、あと2か月。時間は平等に過ぎていきますね。

そうそう、最近太りすぎて人生最高体重なので、油が多いセネガル食を

まずは1か月やめ、本気で自炊頑張ろうと思います。野菜を中心に。

1か月で目指せ-1キロ!


昨年11月。ちょうど1年前。


これが先週。同じ配置で撮ってみた。


セネ服全体写真。中にスカートも穿いているので全部で5M分の布を使っています。


これ、全部マングローブです。with釣りしているおじちゃんたち


マングローブの根っこ!たくさん貝がついててびっくり~


浅瀬で鳥がたくさんいる場所まで行きました。

そうそう、1年報告会に合わせてセネガル女性がするおしゃれに挑戦!
ヘナという実?から取れるもので、こうやって描いてくれました!
両手で300円!


このお兄さんが描いてくれました。
描くのは早いけど、乾くのに時間がかかった!

2014年11月5日水曜日

スリ被害~セネガル人の連携~

Bonsoir!

先日、首都ダカールにて1年報告会があり、上京していました。

1日の土曜日の昼間、同期4人でダカールにある寿司屋に行き

その帰り、路上でスリ被害にあいました。(エスプリ寿司の近く)

セネガルにはバナバナと呼ばれる物売りがいます。

手にたくさんの物を持って、道端で話しかけてきます。

今回も4人で道を歩いていたら、バナバナらしき男性2人(推定40代)が近寄ってきました。

最初は前方を歩いていた私の友人2人に話しかけ、次に私の所にきました。

いつも通り無視していたのですが、一緒に歩いてきます。

左側に来た男性はお祈りするときに使う数珠を片手に持ち

右側に来た男性は汚いシャツ1枚を手に持って見せてきていました。

左側に来た男性が無視しても一緒に歩いてきて、執拗に左肩を触って来るので

さすがにムカついて現地語で「やめろ」と言いました。

それでも一緒に歩いてくるし、やめないので立ち止まってもう一度「やめろ」と言いました。

(今思うと右側にいた男性も触ってこなかったけど、かなり近かった。)

するとやけにあっさり引いていきました。

気持ち悪かったなと思い、5メートルも歩かない時点で

ふと斜めがけにして、お腹の前にあったカバンのチャックが開いていることに

気が付きました。

寿司屋で撮ったはずの、カメラがありません。携帯も。

スリにあった!と気づき、友達にカメラと携帯盗まれた!!!と言い、

すぐに走って、男たちが帰っていった方向に走ります。

盗難にあったときに、すぐ近くで座っていた若い男性2人も一緒に走ってきてくれ

(後から聞くと、一緒にいた私の友人の1人が行くよ!!と言ってくれたみたい)

道端にいた人に

2人の男を見なかったかと聞くと、さっき男性2人がここを走っていったという証言が

結構ありました。その言われた方向に走ります。

私とセネガル人の勇敢な若者1人のグループ、

私の友人ともう1人の勇敢な若者1人のグループで走ります。

途中で、こっちに走っていた!という情報が2手に別れたので

2手に別れて走ります。

私と一緒に走っていたセネ人男性がこっちだ!!と言って走っているので

私はその後を一緒に走っていましたが、犯人を見つけることが出来ません。

その後大きな通りに出て、もう1つのグループと落ち合おう!となり

大きな通りまで走っていくと、何やら30人くらいの人が集まっています。

小さな道からその大きな道に出てきた、別のグループで走っていた友人の手には

私のカメラが!!!!!!

人だかりの中に、こいつが盗んだんだ!!とセネガル人から言われている人が。

その人が私のカメラを持っていて、友人と一緒に走っていたセネガル人の若者が

そのカメラを見つけてくれたよう。

正直、私はその汚いシャツを売ってきたセネ人の顔は覚えていても

左側に来た犯人の顔はあいまいでした。

もちろん、その犯人扱いされているセネ人は否定します。

わけがわからないまま、セネ人同士がアツくなり、

「俺は何もしていない!!」

「うそつけ!!この盗人が!!!」

「違う!俺じゃない!俺には妻も子どももいるんだ!!違う!」

みたいな会話から殴り合いにまでなりそうになります。

とりあえず、警察につれていけと集まっているセネガル人に言われ、

どこからか車もきます。そしてどこかの警備員?のものかわからないけれど

犯人扱いされているセネ人に手錠しはじめます。

その時は、まだ友人と私の2人で、盗難時に一緒に歩いていたもう2人の友人は

この場所にはついていませんでした。

その時の気持ちは「この人が、犯人じゃなかったらどうしよう」でした。

それから一緒に追跡してくれたお兄さん2人と犯人と一緒に警察に行き、

事情聴取を受けました。

警察で、他の友人2人落ち合い、その2人が犯人を見た瞬間に

「あ、この人だ!!!」と言ってくれたので、あいまいだったものが確信に変わりました。

やたら時間のかかる事情聴取を受け、カメラも返ってきて

結果的に被害はゼロでした。

犯行はグループによるもので、友人の話によると、盗んだものは一度

車の下等、どこかに隠すよう。(万が一見つけられても、証拠がないので)

今回の場合、この人が万が一、犯人じゃなくても、カメラをもっていた時点で

犯行グループの1人である可能性が高いとのこと。

犯人は「車の下で見つけたんだ!」と警察には証言していました。

そうそう、盗難にあったと思っていた携帯は、部屋に忘れてきていました。すみません。。。

(警察行く前に、部屋にいる人に確認してもらいました。)

ドミトリーに帰るとどっと疲れが。

しかし、今回は、セネガル人の連携プレーに感動でした。

助けてくれたたくさんのセネガル人、一緒に走ってくれた友人に

心から感謝です。

1日で、セネガルのいい側面と悪い側面を見たような気がして

何だか、何とも言えない気持ちになりました。

安全対策、気を引き締めようと思います。

2014年10月28日火曜日

見ているだけ?葛藤の日々

Bonjour!

今日の一光景。

月曜日に活動しているある学校。

先週、学校の先生3人が転勤して、新しい先生が1人来てました。

女性の先生で2年生のクラスを担当することになりました。

休み時間が終わって、その先生のクラスに行きました。

この学級の子どもたちは

昨年1年生だった時に、一緒に図工や音楽をしたクラスで

子どもたちも私が何を教えてくれる人かわかっています。

でも、新しい先生がどういう先生なのか、どういう指導方法なのか

そもそもまだ子どもと先生の信頼関係が築けていない中で

授業に私が介入しても、まだ早いなあと思ったので

とりあえず見てました。

算数の授業をしていました。

15分くらい経ったとき、先生が教室からいなくなりました。

何だか後から聞くと頭が痛かったようで、教室のまえで座っていました。

でも、クラスからは見えません。

もちろんまだ2年生の子どもたち。騒がしくなります。

ケンカもし始めます。それが15分ほど続きます。

私はひたすら観察をしていました。子どもたちがどういう行動をとるのか。

先生がどういう行動をとるのか。

先生と何か一緒に行うには、信頼関係が必要です。

またどんな先生なのかによって対応の仕方も変わってきます。

この先生の事は何も知らないので、観察に徹していました。

15分後先生が戻ってきました。しーんとなります。

先生はもちろん怒ります。だってうるさかったから。

静かに待っていられなかったので、鞭で罰を与えようとします。

子どもたちもビクっとします。

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私はどういう行動をとるべきだったのでしょうか。

先生がいない15分間、私が何かするべきだったのでしょうか。

そしたらこの子どもたちは罰を与えられずにすんだのでしょうか。

でも、それでも今日は鞭を使わなくても根本的には何も変わらないのではないのだろうか。

また、静かに待っていなさいという指示を私が勝手に変えて授業をやっても

先生との信頼関係が築きにくくなるのではないのだろうか。

そして代わりの先生と勘違いされても困ります。
(たまに、ボランティア=代わりに授業をやってくれる人を思っている先生がいる)

私自身もこの先生とは初対面でした。

迷いました。

授業を出来ないことはない。けれど、、、、

色んな葛藤がありました。

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その先生は鞭で罰を与えようとしたのですが、教室に鞭がなく

他のクラスへ探しに出ていきました。

ここで、下校時間まで残り15分。

おそらく待っていても、すぐにはこない、結局勉強せずに下校する可能性大

だと予想し、騒がしいだけなら、授業をやろうと決めて

音楽の授業を先生がくるまで行っていました。

歌が大好きなクラスだったので、元気いっぱいに昨年一緒に習った歌を歌います。

そして新しい歌を現地語(ウォロフ語)で教えているときに先生が戻ってきました。

先生は去年歌を一緒にやっていたことを知らないので、

「じゃあ、担任の先生のために去年習った歌を歌おう!」と言って

一緒に歌いました。歌い終ったあと、先生も「素晴らしい!」と言ってくれて

子どもたちも理不尽な罰を受けずに、そして先生も子どもたちを褒める場面になって

何か行動してよかったと心から思った日でした。

何もしないで罰を受けるのを見ていることも出来る。

ただ、目の前にいる子どもたちに何か出来る場所にいながら

何もしないで見ているだけ。今回の場面では、それはどうなのなのかと思いました。

対応の仕方や行動の仕方は先生やクラスによっていろいろですが

基本は、先生との信頼関係を壊さないように、そして、子どものためになるように。

簡単ではありませんが、セネガルの学校現場で

先生と一緒に何かを行っていくには、それはすごく大切なことだと感じました。


朝フランスパンを買いに行くときに、毎朝見れる朝日。


2014年10月22日水曜日

la lumiere

la lumiere

光を見つける強さ

何か壁にぶち当たった時

無意識に言訳を考える

ああ、きっと私が出来る範囲のことではないんだ

ああ、世の中にはどうしようもない問題というものがあるんだ

自分がどうしようもないと諦めかけている事を出来ている人を知った時

無意識に言訳を考える

ああ、この人はきっと私にないものを持っているんだ

ああ、きっと環境が違うんだよ

自分を正当化するために

でも、どこかでそうじゃないはずだという気持ちも抱えながら

実際に、ここでもすごい人という人はたくさんいるわけで

その人たちに共通するのは

諦めたくなるような状況でも

必ず「何か」があるはずだ

必ず何か「出来ること」があるはずだ

と信じる強さ、光を見つける強さだと感じた

それからは、言訳を考えないで本当に小さなことでも

「出来ること」を探すようになった

全くもって簡単じゃない

壁がないことなんてないし、悩まないことなんてないけど

この1年、少しは「光」を見つけようとする心の強さは

すこーしだけだけど、強くなったかなあと思う

今、まさに壁にぶち当たっているのだけれど

アプローチ方法は色々あるという事を念頭に置いて

壁にぶつかっても何か出口があるはずだ、と信じて

頑張ってみる