パラダイス(楽園)こそが、本物の世界なんだ。
この世での行いによって、死後楽園に行けるのか地獄に行くのかが決まる。
ーパラダイスには何があるの?
パラダイスには君が望むものが全てある。年もとらない。ほしいものが全てそこにある。
苦しみもない。貧しさもない。死もない。それこそが本物の世界だ。
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宗教の話になると、どうしてもわかりあえない。
頭では理解できても、よくわからない。
彼らにとって、この世は、死後楽園にいくために試練を乗り越える場所であり
アッラーの預言者であるモハメットの言葉を生きる規範としている。
(この言葉、つまりコーランはイスラム教が誕生した1400年から、一文字も変わっていないらしい。)
わかるけど、でもじゃあどこから、社会をよりよくしていこうという気は生まれてくるのあろうか。
それらは、アッラーが与えた試練だと解釈して、よりよい明日を創ろうとしているのだろうか。
行動の意思決定の仕方が、あまりにも違いすぎて、宗教はなかなか感覚的につかむことが
難しい。
いつも、議論しても最終的には「宗教は人間がよりよく生きるために存在するから、
より良く生きれるのであれば、何宗教でもいいんじゃないか。」というとたいてい納得してくれる。
そうじゃなくて、絶対イスラムがいいから、イスラム教になれ!!という人もいるが。
そうそう、この間終わった断食。
なぜイスラム教徒は断食をするのだろうか?
「断食、ラマダーン月は、ムスリムにとって特別な月である。アッラー(神)がムハンマドを
預言者に召命し、クルアーン(イスラム教の聖典、コーラン)の最初の啓示を下した月だからだ。」
「精神と肉体の修養の時、愛と平和と和解を広めるために特別な努力をするとき」
「断食は単に物を食べないでいるということではない。誤った生き方、暴力、貪欲さ、欲望
怒りや悪意を捨て去ること。」
「断食の目的は人々を苦しめることにあるのではない。貧しい人々に共感する気持ちを持てるよう
わずかの間貧者の苦しみを体験することにある。」
ーイスラームを知る32章 ルカイヤ・ワリス・マクスウドー より
深いですな。
でも、そう考えれば、仏教だって、仏陀の言葉(教え)を信じる者?なわけだからなあ。
仏陀は神じゃなくて人だっていうのが大きな違いかなあ。
物事を深く考えれば考えるほど、また色んな考え方や立場を知れば知るほど、
正しいものなんて言うのはなくて、何かの宗教を信じているという事は
そこに、本当に迷った時に自分を導いてくれる正義?
道導べがあるっていうことなのかなあ。と。
道徳的な役割を果たしているよね。
宗教の話を彼らとすると、いつも突き刺さる「どう生きるのか」という
根本的な答えの出ない問い。
自分の考えや根本となっている価値観のルーツは何だ?と考えた時に
仏教や神道が思い浮かぶ。
自分のルーツ、日本のルーツ、もっと勉強してみたいと最近思う。
そしてかなり遅くなりましたが、6月末にブルキナ隊と行った、バオバブアドベンチャーの写真!
まさにアドベンチャーだった(笑)普通に怖い(笑)楽しいけど、大きなバオバブの上でゆらゆら
する吊り橋は、脚が震えました。。。
ロッククライミングならぬ、バオバブクライミング!
やりたくなるターザンポーズ with ブルキナ隊のryo君
素敵な写真!友達が飛んでいます。
私も飛びました。
宗教は、宗教を深く知らない人からすれば不思議だよね。
返信削除一方、宗教を信じて生きてきた人からしたら、宗教を信じない人の方が不思議だろうね。
宗教のいいところは、道しるべがあること。やはり、答えがないものも多い中で、宗教に従えば、そこで答えを教えてくれる。それさえ信じていれば、大丈夫という安心感は心強いものがあると思える。
(仏教の中でも、緩い大乗仏教に所属しているはずの僕は、個人的には、答えがないものに対して、しっかり悩んで、自分で道筋を切り開いていく中に成長めいたものがあると考える。)
また、コーランはずっと変わってないけど、解釈がいろいろ異なるから、イスラムの中にもたくさんの派閥(スンニ派、シーア派。そしてその下部でもたくさん別れる)があるね。同様に、キリスト教、仏教も同じく、解釈が異なっていろんな会派に別れる。
そして、ずーっと何らかの宗教を信じてきた人は、それが信念になっているから、その思いはなかなか変えられない。結局、いかに他の宗教も認めて生きていくかってのが大事と思う。
でも、そこに貧困問題とか土地問題等が絡むと、派閥・団体間の利権争いは避けられず、各人にとって最も根本的な概念のひとつである「宗教」が、各人を分断してしまうことが現実に起こり得る。(例:ユーゴスラビア紛争)
なっかなか難しいよね。