2014年3月5日水曜日

動きながら考える

Bonsoir!

気付けば3月!セネガルに来て6ヶ月目に突入したわけですね。早すぎて怖いですね!
このまま2年間、あっという間に終わってしまうんじゃないだろうか。

最近セネガル全土でハルマッタンという風の影響で、風が吹き荒れています。
家の中はすぐ砂まみれ。遠くが見えないこともしばしば。サングラスなしでは、目がひどいことに・・・・。必須です。

任地ダーラでは活動も少しずつ安定してきて、いいサイクルになってきたように思います。

曜日で活動校も固定し、週3回の夕方灼熱砂場で青空バレー。

月一回のラジオ放送も何とか決まりそうです。

最近は「走りながら考える」ということを意識してやっていました。

やらないで立ち止まって考えるのではなく、

少しずつでもいいから動いてみて、動きながら考える。そして少しずつ軌道修正していく。

立ち止まるのは私の都合なので、動きながら考えた方が、ここの人たちにはいいというのも

わかりました。リズムが出てくる。週1回、週2回、週3回と。やりながら考える。

それはそれでいいのですが、常に頭の中には、これでいいのか、これは子どもたちのためにいのか

という問いがあります。

配属先に提出している自分のレポートを見ても、C'est une bonne occasion pour~~.(~~にとっていい機会だ)

という言葉を多く見ます。

教育は多くの可能性を与えることが出来ます。

少しだけなら今の子どもたちの世界を広げてあげることが出来るかもしれません。

学ぶ機会を増やすことだって出来ます。

でも、何だかこれでいいのだろうか。

と思うことばかりです。

どうして可能性って多い方がいいのだろうか。

世界を広げることは果たしていいことなのだろうか。

何だかすべて正しくて、すべて正しくないように思えてきます、最近。

捉え方次第で正しくもなるし、正しくなくもなる、全ての人間に正しいと言える事なんて

ないんじゃないかと思います。

ただ、正しいと言われる裏付けには、科学的な根拠があったり、歴史の流れがあったり

偉い人の言葉があったり。

そのような根拠があまり意味をなさない村などに行くと、

なおさら正しいことなんてないんじゃないかと感じてきます。

ただ、ずっと考えても、私の頭じゃ、答えは出なさそうなので、やっぱり動きながら考えたいと思います。

そして何よりも目の前にいる人たちが、今目の前で生きているという事実は

100%の真実なので、目の前にいる人のために頑張ろうと思います。

それが正しかったのか正しくなかったのかは結果論かなあ。


父親からもらったらしいサングラス。(笑)ポーズをとるのがかわいい。3年生。


1年生の図工の時間。紙を折って花を作って教室を飾りました。



友人宅で週末のんびり。木の下で談話中。ゆっくりした時間が体に流れる。


村の1年生と2年生しかない学校。図工の授業。色を塗って、紙をちぎるだけだけど
楽しんでくれました。穴から目をだす2年生。


別の村の子どもたち。座っていると寄ってきて来てくれます。

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