2015年4月22日水曜日

君には理解できないよ

Bonjour!

セネガルは日中が40度は超えるくらいの暑さになってきて

2時頃になると、人が外にいません。暑い!

先日、仲のいいセネ人といつも通り話していました。

どこからか宗教の話になり、イスラム教の話をしていました。

彼が女性と男性の仕事の役割がコーランに書かれている、と言っていて

その話をしていて、細かくは忘れましたが、その時の私がそれを聞いて感じたことは

「平等じゃない。」ということでした。

だから、そのまま言いました。

「理解はしたけど、私は賛同しないな。それって女性の気持ちを完全に無視してるよ。

男性本位じゃないの。平等じゃない。」

すると友人はいました。

「いいかい。これは神の言葉なんだよ。賛同するとか賛同しないとかいう話じゃない。

神の言葉は神聖なものなんだ。」

おそらく、神の言葉であるため、人間の知をはるかに超えた所にあると

言いたかったのだと思いました。

そして私の発言はよくなかったようで

「賛同しないということは、それはつまりイスラム教を否定していることになる。」

そういうつもりは全く持ってなかったのですが、そう受け取ったみたいです。

そして最後に「君には到底理解できないよ。」との一言。

ショックでした。哀しい気持ちになりました。

大学生の時、院の授業を聴講していました。

その中で、国際協力関係の授業である先生が言いました。

「2人の人間同士、理解することはとっても難しい。むしろ不可能なのかもしれない。

恋人同士だってお互いを100%理解できない。だけど、大切なのは

理解しようとする姿勢、そして努力をすることだ。」

今でもずーっと心に残っている言葉です。そして自分の中でモットーにしてきた言葉でした。

そんな中「君には理解できないよ。」との言葉は

例えそれが本当だとしても、それを言葉にしてしまったら終わりだよと感じました。

友人はその後「頭では理解できても、イスラム教を理解することは出来ない。

だって君はイスラム教徒じゃないから。」

確かにその通りかもしれません。彼らのように、一日5回神にお祈りしたり

神が自分を忘れていないと感じたり、神に許しを求めたり

それを心から信じていない私には、わからない感覚でしょう。

けれど、理解したい。そういう姿勢は持ち続けたい。例え無理でも、その気持ちを

失くしてしまえば、全てが終わってしまう、そんな気がします。

この言葉を言われた時、どんなに仲良くしている友人でも

私とは別世界に住んでいる人なんだと実感させられました。

同じ人間同士、悲しいけれど、どんなに頑張っても理解し合えない事が

あるんだね。


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