Bonjour!
セネガルは日中が40度は超えるくらいの暑さになってきて
2時頃になると、人が外にいません。暑い!
先日、仲のいいセネ人といつも通り話していました。
どこからか宗教の話になり、イスラム教の話をしていました。
彼が女性と男性の仕事の役割がコーランに書かれている、と言っていて
その話をしていて、細かくは忘れましたが、その時の私がそれを聞いて感じたことは
「平等じゃない。」ということでした。
だから、そのまま言いました。
「理解はしたけど、私は賛同しないな。それって女性の気持ちを完全に無視してるよ。
男性本位じゃないの。平等じゃない。」
すると友人はいました。
「いいかい。これは神の言葉なんだよ。賛同するとか賛同しないとかいう話じゃない。
神の言葉は神聖なものなんだ。」
おそらく、神の言葉であるため、人間の知をはるかに超えた所にあると
言いたかったのだと思いました。
そして私の発言はよくなかったようで
「賛同しないということは、それはつまりイスラム教を否定していることになる。」
そういうつもりは全く持ってなかったのですが、そう受け取ったみたいです。
そして最後に「君には到底理解できないよ。」との一言。
ショックでした。哀しい気持ちになりました。
大学生の時、院の授業を聴講していました。
その中で、国際協力関係の授業である先生が言いました。
「2人の人間同士、理解することはとっても難しい。むしろ不可能なのかもしれない。
恋人同士だってお互いを100%理解できない。だけど、大切なのは
理解しようとする姿勢、そして努力をすることだ。」
今でもずーっと心に残っている言葉です。そして自分の中でモットーにしてきた言葉でした。
そんな中「君には理解できないよ。」との言葉は
例えそれが本当だとしても、それを言葉にしてしまったら終わりだよと感じました。
友人はその後「頭では理解できても、イスラム教を理解することは出来ない。
だって君はイスラム教徒じゃないから。」
確かにその通りかもしれません。彼らのように、一日5回神にお祈りしたり
神が自分を忘れていないと感じたり、神に許しを求めたり
それを心から信じていない私には、わからない感覚でしょう。
けれど、理解したい。そういう姿勢は持ち続けたい。例え無理でも、その気持ちを
失くしてしまえば、全てが終わってしまう、そんな気がします。
この言葉を言われた時、どんなに仲良くしている友人でも
私とは別世界に住んでいる人なんだと実感させられました。
同じ人間同士、悲しいけれど、どんなに頑張っても理解し合えない事が
あるんだね。
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