2015年1月25日日曜日

憎しみは憎しみを

暴力を暴力で片付ける。

新たな憎しみを生む。

憎しみは憎しみを生む。

永遠に憎しみがない世界はないのかもしれない。

けれど、その憎しみが感じたことがないくらい、

ものすごく自分に襲い掛かってきたり、

自分でコントロールできなくなったら、

どうしたらいいのかな。

憎しみは、いつか他の気持ちに変わることができるのだろうか。

悲しみがいつか優しさに変わるように。

今日のニュースを見て、そんなことを考えずにはいられなかった。


優しさが優しさを生む。それもまた1つの真実だ。




2015年1月19日月曜日

音のない世界

先週3日間ほどダーラから30キロ離れた無電化の村へ行っていました。

初めての無電化の家。

今は砂塵が多くまっているため、空がかすんで見えます。

普段なら約1時間で着くところ、車の故障で5時間ほどかかり

10時頃に村に到着。

あたりは真っ暗です。

村の先生が使っていいと言ってくれた空きのカーズへ

一緒に来た隣町の隊員と使わせもらいました。

外はあまりにも無音。そして真っ暗。

無音の世界って耳がキーンってするんですよね。

誰かの足音が、とてもよく聞こえる。

少しの動作で出るガサガサという音が、とてもよく聞こえる。

羊やロバ家畜の鳴き声が、とてもよく聞こえる。

初めての感覚でした。

機械音は何も聞こえない。

聞こえる音は料理をしている音や

人々の話声や

鳥が飛ぶ音。

動物の鳴き声や

動作の音。

何だか「生きる音」だと感じました。

「人間の生活の音」

3日ぶりにダーラに着いて

一番最初に感じたことは「音が多すぎる」

ということでした。

人が多いから、それは必然なのかもしれないけれど

静かであれば聞こえる音も

バイクや車やテレビの音によって

聞こえない音になっている、そんな気がしました。


移動時に砂埃がすごいので、布で防御。


初めて荷物の上に乗って運ばれました。(笑)
でも時速30キロくらいなので全然余裕でした。


音楽の授業中


ご飯を炊く窯


豪華なご飯を用意してくれていました。
テランガ(おもてなし精神)感謝です。


村の羊たち。子羊がかわいい。



いざ青空シャワーへ!(※注 囲いはあります笑)


ロバは正面から近づくと逃げるので横から近づいて触ってね!


泊めてくれた家族たち。ホンジャーラーマ!(ありがとう!)

2015年1月9日金曜日

イスラム過激派のフランス紙攻撃

昨日から、ニュースはこの話題で溢れていますね。

痛々しい事件が起こってしまい、本当に心が痛みます。

日本での反応はどうなのでしょうか。気になります。

ニュースをインターネットで見ていると、「報道の自由」「表現の自由」に

関してマニフェストする人が多い印象です。

攻撃された「シャルリ・エブド」が表紙にしていた風刺画たちをみて、

最初の印象は、「これはやりすぎだ」と思いました。

私は周りがみなイスラム教なので

彼らにとってどれだけイスラム教が大切なものか

どれだけ彼らの人生に影響を与えているのか

身をもって感じています。

イスラム教の最後の預言者であるモハメット(ムハンマド)の

誕生祭がこの間あったくらい、モハメットは預言者の中でも

とても特別な人物のように見えます。

どんな理由であろうと、風刺画だけを見れば、その信仰心を侮辱している

と思える十分なものだと感じました。

かといって、人を殺していいのか、というと

全く持ってそんなわけはないので、

彼らの行為は許されるものではありません。

しかし、「表現の自由」や「報道の自由」は人を侮辱するためにあるわけではないとも

思いました。

というのが最初。

しかし、私はそのフランス紙がどのような歴史を築いてきたのか

またフランス社会がどのようなものなのかをわかっていません。

偏った見方だとは思います。

ある知人曰く、「報道の自由」に対する攻撃は「フランス共和国」そのものに

対する攻撃と同義。とおっしゃってました。

また他の知人曰く、「皮肉的」に何かを表現するのは、フランスの1つの文化であり

表現する表題について「尊敬」の気持ちがあるから、そう表現が出来る。

そうでなければ、別の方法を選ぶ。

そうおっしゃってました。

(お二方ともフランスに、もしくはフランス人が身近にいる(ある)人たちです。)

なるほど、「報道の自由」の重要さや「皮肉的文化」(ちょっと意味合い違う?)

を理解していていないと、表面だけしか見えないなあと思いました。

日本人としては、「皮肉的」に何かを表現することには

やっぱり「ちょっとひどいよなあ」と思ってしまうので

その感覚はわかりませんが、彼らの風刺画には、そのようなフランスの文化が

あるということは知っておくべきかな、と。

今日友人のセネガル人とこの話題について話していて、友人曰く

「On peut blaguer n'importe quoi mais sauf la religion!」

「どんなことに対しても冗談を言っていい。けれど、宗教を除いてだ。」

イスラム過激は決してイスラム教とイコールではありません。

どうしたら、分かり合い、共存できるのでしょうか。

彼らの肩を持つわけではありませんが、宗教に対して偏見や差別が

助長されず、お互いの宗教を(分かり合えなくたって)尊重し合い、

生きていける社会に、誰もが暮らせるように、心から願います。




2015年1月8日木曜日

続く断水

断水が3日目です。

ダーラではほとんどない2階に住んでいるので

断水はほぼ毎日ですが

連続して3日間は初めて。

貯めている水がほぼ無くなりそうです。

給水塔が壊れたんだとか。

まず、確保しなきゃいけないのが飲み水。

その後に食事。

それから水浴び用。

洗濯ものたまりっぱなし~

髪の毛3日間洗えていない~

さすがに少しストレスを感じるが

セネガル人はいたって普通。

なぜだ!!!!!

水無くなれば、誰かが助けてくれると思うけど

その前に早く水きて~~


ろ過器で飲み水確保

2015年1月1日木曜日

平和そのもの、村年越し

今年の年越しは村にすると決めていた。

村に行くまでの道のり。シャレットと呼ばれる相乗り馬車を待つこと2時間。

やっと村行きのシャレットが夕方出発した。ダーラを抜けると何もない田舎道になる。

途中ふと目を閉じてみる。

自ら視覚という感覚を閉ざしてみる。

すると嗅覚や聴覚、触覚が研ぎ澄まされてゆく。

道路を馬のトコットコッとリズムのいい音がかけてゆく。

セネガルの匂いがほのかに香る。一緒に相乗りしているチャメヌ村に住むおばさま方の息もつかせぬようなウォロフ語が聞こえる。

道が綺麗に舗装されていないので、右に揺れ、左に揺れる。

目を開けてみる。まぶしいばかりの夕日が空の低いところにきていた。まぶしい!と一瞬思うが、すぐに慣れる。

途中、牛の死骸に出会う。病気か何かでここに置いて行かれたのだろうか。まだ真新しい。

でも、命の鼓動はなく、「個体」と化し、大地に還ってゆくのを待っているかのようだった。

次は犬らしき死骸に出会う。

「らしき」というのは、ほぼ形が存在していなかったからだ。骨が見え、皮は半分以上見えなくなっていた。

それはもはや「個体」でありながら「大地」の一部であるかのようだった。

私はシャレットの一番後ろに座っていた。

後ろを見てみる。たどってきた道がどんどん小さくなる。左右には広大な大地が夕日に照らされている。

「自然」と「人間」は決して切り離されている物ではなく、あるサイクルの中で大地と共存しているかのようだった。

村に着く。ゆっくりする。夕食前のご飯を用意してくれている。

私は空を見ていた。あまりにも綺麗な夕日だった。

青とオレンジがこれでもかというくらいお互いに鮮やかな色で輝いていて、でもそれは綺麗に1つのものだった。

雲はもはや白ではなく、オレンジ色だった。

少しずつ周りが闇に包まれてゆく。月が空の高いところに来ていた。

月はいつの間にそこにいたのだろうか。見えなかっただけだろうか。

2人の子どもたちが眠たそうに、私の隣に座っている。

寒いね、と言いながら、妹のマルヤマをあぐらをかいた私の足の上に乗せる。

すぐにコックリコックリし始めた。

ご飯が出来た。

みんなで外で大きなお皿を囲んでの食事。昼の残りのチェブジェンだろうか。

友人の奥さんが手元が見えるように懐中電灯で照らしながら、みんなでつついて食べる。

大人3人子ども2人。たくさんあるわけではないけれど、客人にもてなすために、真ん中にある野菜を食べやすいように小さくして、私の目の前に置いてくれる。

魚の骨まで取っておいてくれる。

お腹いっぱいになり、スプーンを置くと、「全然食べてないじゃないか、食べなさい」と言ってくれる。

お腹いっぱいだよ、ありがとう。おいしかった。心もお腹もいっぱいになる。

寒いから中に入りなよと言われたけれども、村の月を見ていたかった。

ずっとそこにいて変わらない月。

人間はどれだけ変わったのだろうか。どれだけ変わらなかったのだろうか。

先人に想いを馳せる。

雲が多い日だった。

闇なんて存在しないのではないかと思うくらい、雲に隠れていない月は明るく眩しい。

それはセネガルに来て気付いた1つの事だった。

しばらく見ていたけれど寒くなったので部屋の中に入る。暖かい。

しばらくして夕食の準備が出来たからと再び外に出る。先ほどのチェブジェンは夕食前のご飯だったようだ。

夕食は友人の奥さんの弟夫婦とその子ども?が来て囲む。マカロニに牛肉と玉ねぎのソースがかかった豪華な夕食だ。

月明かりの下、寒いねと言いながらみんなでつつく夕食はとびきりおいしく感じた。

また部屋の中で少し休み、友人家族と、その友人のお兄さんの家に行く。なんでも今夜は女性のみのパーティーがあるというのだ。

そのお兄さん家族に子どもと旦那(私の友人)を残し、奥さんと私は秘密の花園へ。

そのパーティーは小さな1つの寝室の中で行われていた。

入ってみると8畳くらいの中に、約20人の女性がいた。

床に座っている者もいれば、いすやベッドに座っている者もいる。

外国人が来たからと、すこし驚くが踊れ!と言われ適当に踊るとすぐに打ち解けた。

音楽がスピーカーから大きな音で鳴っている。

もちろんセネガルの伝統的楽器タムタムだ。

その音楽に合わせて1人が踊り始める。それを見て2人目、また3人目、時には6人くらいで思い思いに踊る。

特徴的なのはお尻を使う踊り、脚を激しく動かす踊りだ。

スカートを少しまくり上げて、遺伝子に組み込まれたリズムに乗って踊る。

何度も一緒に踊れと言われ踊ったが、マネするので精いっぱい。

でも、少しでも踊れば喜んで「踊れるね!」となるわけだ。

なるほど、女性は昔からこうやって育児や家事の大変さを発散しているのかと思わずにはいられなかった。

ものすごいパワーで豊かな文化だ。

11時半頃まで続き、その間にはジュースやミルク、軽食など、おもてなしづくしだった。

パーティーが終わると、女性は一瞬で母親の顔に戻り、暖かくてにぎやかだった部屋が嘘だったかのように、暗くて寒い家路に戻ってゆく。

私も奥さんと一緒に子どもと旦那さんを迎えに行き、家に帰り、飲みすぎ食べ過ぎで苦しいお腹を横にしながら、眠りについた。

翌日8時くらいに寝覚めると、もう太陽は昇っており、いつも通り、1日が始まろうとしていました。

帰り際、ありがとうと伝え友人宅を後にしようとした時、

彼らのよそ人を受け入れてくれる寛容さと、

彼らが築く美しい家族に心が温かくなり、涙が出そうになった。


そんな始まりの2015年。