今年の年越しは村にすると決めていた。
村に行くまでの道のり。シャレットと呼ばれる相乗り馬車を待つこと2時間。
やっと村行きのシャレットが夕方出発した。ダーラを抜けると何もない田舎道になる。
途中ふと目を閉じてみる。
自ら視覚という感覚を閉ざしてみる。
すると嗅覚や聴覚、触覚が研ぎ澄まされてゆく。
道路を馬のトコットコッとリズムのいい音がかけてゆく。
セネガルの匂いがほのかに香る。一緒に相乗りしているチャメヌ村に住むおばさま方の息もつかせぬようなウォロフ語が聞こえる。
道が綺麗に舗装されていないので、右に揺れ、左に揺れる。
目を開けてみる。まぶしいばかりの夕日が空の低いところにきていた。まぶしい!と一瞬思うが、すぐに慣れる。
途中、牛の死骸に出会う。病気か何かでここに置いて行かれたのだろうか。まだ真新しい。
でも、命の鼓動はなく、「個体」と化し、大地に還ってゆくのを待っているかのようだった。
次は犬らしき死骸に出会う。
「らしき」というのは、ほぼ形が存在していなかったからだ。骨が見え、皮は半分以上見えなくなっていた。
それはもはや「個体」でありながら「大地」の一部であるかのようだった。
私はシャレットの一番後ろに座っていた。
後ろを見てみる。たどってきた道がどんどん小さくなる。左右には広大な大地が夕日に照らされている。
「自然」と「人間」は決して切り離されている物ではなく、あるサイクルの中で大地と共存しているかのようだった。
村に着く。ゆっくりする。夕食前のご飯を用意してくれている。
私は空を見ていた。あまりにも綺麗な夕日だった。
青とオレンジがこれでもかというくらいお互いに鮮やかな色で輝いていて、でもそれは綺麗に1つのものだった。
雲はもはや白ではなく、オレンジ色だった。
少しずつ周りが闇に包まれてゆく。月が空の高いところに来ていた。
月はいつの間にそこにいたのだろうか。見えなかっただけだろうか。
2人の子どもたちが眠たそうに、私の隣に座っている。
寒いね、と言いながら、妹のマルヤマをあぐらをかいた私の足の上に乗せる。
すぐにコックリコックリし始めた。
ご飯が出来た。
みんなで外で大きなお皿を囲んでの食事。昼の残りのチェブジェンだろうか。
友人の奥さんが手元が見えるように懐中電灯で照らしながら、みんなでつついて食べる。
大人3人子ども2人。たくさんあるわけではないけれど、客人にもてなすために、真ん中にある野菜を食べやすいように小さくして、私の目の前に置いてくれる。
魚の骨まで取っておいてくれる。
お腹いっぱいになり、スプーンを置くと、「全然食べてないじゃないか、食べなさい」と言ってくれる。
お腹いっぱいだよ、ありがとう。おいしかった。心もお腹もいっぱいになる。
寒いから中に入りなよと言われたけれども、村の月を見ていたかった。
ずっとそこにいて変わらない月。
人間はどれだけ変わったのだろうか。どれだけ変わらなかったのだろうか。
先人に想いを馳せる。
雲が多い日だった。
闇なんて存在しないのではないかと思うくらい、雲に隠れていない月は明るく眩しい。
それはセネガルに来て気付いた1つの事だった。
しばらく見ていたけれど寒くなったので部屋の中に入る。暖かい。
しばらくして夕食の準備が出来たからと再び外に出る。先ほどのチェブジェンは夕食前のご飯だったようだ。
夕食は友人の奥さんの弟夫婦とその子ども?が来て囲む。マカロニに牛肉と玉ねぎのソースがかかった豪華な夕食だ。
月明かりの下、寒いねと言いながらみんなでつつく夕食はとびきりおいしく感じた。
また部屋の中で少し休み、友人家族と、その友人のお兄さんの家に行く。なんでも今夜は女性のみのパーティーがあるというのだ。
そのお兄さん家族に子どもと旦那(私の友人)を残し、奥さんと私は秘密の花園へ。
そのパーティーは小さな1つの寝室の中で行われていた。
入ってみると8畳くらいの中に、約20人の女性がいた。
床に座っている者もいれば、いすやベッドに座っている者もいる。
外国人が来たからと、すこし驚くが踊れ!と言われ適当に踊るとすぐに打ち解けた。
音楽がスピーカーから大きな音で鳴っている。
もちろんセネガルの伝統的楽器タムタムだ。
その音楽に合わせて1人が踊り始める。それを見て2人目、また3人目、時には6人くらいで思い思いに踊る。
特徴的なのはお尻を使う踊り、脚を激しく動かす踊りだ。
スカートを少しまくり上げて、遺伝子に組み込まれたリズムに乗って踊る。
何度も一緒に踊れと言われ踊ったが、マネするので精いっぱい。
でも、少しでも踊れば喜んで「踊れるね!」となるわけだ。
なるほど、女性は昔からこうやって育児や家事の大変さを発散しているのかと思わずにはいられなかった。
ものすごいパワーで豊かな文化だ。
11時半頃まで続き、その間にはジュースやミルク、軽食など、おもてなしづくしだった。
パーティーが終わると、女性は一瞬で母親の顔に戻り、暖かくてにぎやかだった部屋が嘘だったかのように、暗くて寒い家路に戻ってゆく。
私も奥さんと一緒に子どもと旦那さんを迎えに行き、家に帰り、飲みすぎ食べ過ぎで苦しいお腹を横にしながら、眠りについた。
翌日8時くらいに寝覚めると、もう太陽は昇っており、いつも通り、1日が始まろうとしていました。
帰り際、ありがとうと伝え友人宅を後にしようとした時、
彼らのよそ人を受け入れてくれる寛容さと、
彼らが築く美しい家族に心が温かくなり、涙が出そうになった。
そんな始まりの2015年。